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ベモでバリ島1周!! ~その4~

2017年 10月25日 17:44 (水)



※ずいぶんと間があいてしまいましたが、旅行記続き書いていきます。
こちらは2009年のバリ島旅行記となっています。
料金は当時のものなので、参考にしないで下さいね。



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ロビナの町がすっかり気に入った私は、闘鶏ツアーが終わった後もしばらくロビナに滞在していた。


ロビナはバリ島最北端の町で、空港からだと車で3時間以上かかることもあり日本人観光客に出会うことはほぼなかった。
歩いて回れるほどの小さな町で、時折食堂で欧米人の観光客に出会う程度。
でも一応観光地なので、中心には一通り(宿、食堂、ネット屋)がそろっていて不便はない。
ということもあり、のんびりするのに最適の町だった。

昼間はだーれもいないビーチでぼんやりしたり、友達に葉書を書いて会話帳片手にローカルの人に聞いて郵便局まで行ったりとかして過ごす。



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ロビナののんびりした町並み


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ビーチものんびり


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猫ものんびり


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サンセットも独り占め


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一人旅なのでもちろん写真はセルフィだけど、誰もいないので格好つけて撮っていても恥ずかしくない




そろそろ次の町を目指そうと思い、ロビナ最後の夜。
宿のオーナーに「これからビーチでプチパーティーをするんだけど、一緒にどう?」と誘われた。
なんでも、オーナーの友人(バリ人男性)の奥さん(イギリス人女性)がイギリスから帰ってきたので歓迎のパーティーとのことだった。
既に夕食を食べてしまったので・・・と伝えると「一杯くらいいいじゃない」とビーチへ連れて行かれた。

ビーチでパーティーなんてどんだけお洒落なんだ!?と思いながら宿の裏のビーチへと行くと、十数人のバリ人と欧米人がワイワイしていた。
オーナーが軽く紹介をしてくれ、輪に入る。
いつもは一人旅の時は判断が鈍るのが嫌なのでアルコール類は極力飲まないようにしているのだが、女性もたくさんいる場だし、宿は歩いて直ぐだし、で一杯だけ頂く事にした。
みんながビールやらワインやらで盛り上がっている中、一人の女性がグラスに水をついで飲んでいる姿が目に入った。
何となく気になって、「お酒を飲まないんですか?」と聞いてみると、
「赤ちゃんがいるの」と言う。
妊娠しているってことなのかな?と思い、妊娠って何ていうんだっけ?プレグナン・・・
などと考えている間に、彼女は椅子の上の籠にかけてあった布をそっとあけた。

「Naaaaa-------!!!」

なんとそこには天使の様な顔ですやすやと眠る赤ちゃんの姿が!!

まさかこのお洒落なビーチパーティーに赤ちゃんが参加しているなんて・・・思いもよらなかった事実に「アメージング」とか「ワオ」とかしか言葉が出てこず口をパクパクしている
私の姿を見て、彼女は微笑みながらこう続けた。

「イギリスでは、出産後1年間は働かなくても会社から給料が出るの。私にはイギリスの部屋にこもって赤ちゃんと二人の生活なんて考えられなかった。だから物価の安いバリに来て、バカンスを楽しみながら1年間子育てをしようと考えたの。友達もいるしね。夫?夫は今もロンドンで働いているわ。」


世界はこんなにも自由なのかと衝撃を受けた。


この時私は結婚も出産もしていなかったので想像でしかなかったが、子育てはかなり大変なイメージがあった。
先に子供を産んでいた友達はかなり疲れた表情をしていたし、育児ノイローゼなどという言葉があるように想像もつかないような大変なことがあるんだろうなぁ、と思っていた。(育児そのものの他にママ友とか、お姑さんとの意見の衝突とか・・・)

でも、世界にはこんなにも簡単に海外で一人で子供を育てよう(そしてついでにバカンスも楽しもう)とする人がいるのだ。

(今だから分かるが、彼女は自由だけではなくとても勇気がある人だと思う)


私の世界はこんなにも狭かったんだなー。
自分の中の価値観が大きく変わったロビナでの最終夜だった。


3 Bulananこぼれ話

2017年 10月11日 13:34 (水)


3 Bulananの前日、準備の為に親戚が集まっていた時のお話。


会場の準備も終わり、後は当日の朝にバンタン(お供え物)を運ぶのみとなってみんなでまったりしていると、おば様方が「あーでもない、こーでもない」と何やらワイワイしていた。
何かと思って聞いてみると、儀式当日の赤ちゃんに着せるクバヤの色の話らしい。

私はまぁ、無難に白でいいんじゃないかなー、何て思って準備していたのだが、赤ちゃん本人の意向を必ず聞かなければならないのだという。

赤ちゃんの意向=赤ちゃんに生まれ変わったご先祖さまの意向

なわけで・・・
つまりはあれである。
バリアン(呪術師)のところへ行ってということ。

以前も書いたが、バリでは輪廻転生が100%信じられており、
赤ちゃんが生まれたら必ずバリアンのところへ行って誰の生まれ変わりなのかを確認することになっている。

以前のお話↓
「輪廻転生」


で、この確認なのだが、どうやら1ヶ月の儀式と3ヶ月の儀式の間に行かなければならないらしく、この確認の時に3 Bulananの時の本人の希望も確認するのだとか。
(クバヤは何色だとか、バビグリンの有無とか、その他の希望いろいろ・・・)


で、なぜ次女のバリアン確認を直前まで行っていなかったというと・・・


ただ単に忘れていただけー


いや、私は覚えていたよ?
何度も夫に「いつ聞きに行くの?」って聞いてたよ?
で、「いつだろうね~」って、人事のように流されてたよ・・・
で、直前になってこの慌てよう。

まぁ、それはいい。
だったら今すぐ聞きに行ったら?って思ったのだけど、この日はバリの暦でPasahという日で、まぁ日本でいうところの仏滅のような日だったので、バリヒンドゥーに関することは一切禁止。
もちろんバリアンのところへお伺いにいくのも禁止。

なわけで、仕方なく当日の朝に親戚のおばさんがバリアンのところへ行ってくれることに。


以下はおばさんから聞いた話。


バリアンに生まれ変わりを確認する時は、基本的には名前と生年月日を伝えるのみ。
おばさんがそれを伝えると、

「タンカスの子か・・・」
と一言。

タンカスとは、夫の家寺のクルンクンにあるタンカス・コリ・アグンのこと。
私なんかはこういった力を発揮されると未だにちょっとぞくっとしてしまうのだが、バリ人にしてみれば、「バリアンさんは何で分かるんだろうねー?凄いねぇ」ってごくごく普通の感覚。

その後バリアンは生まれ変わった人の特徴(ここにほくろがある、とか背が高いとか低いとか)を伝え、「あぁ、○○おじいちゃん!」とか「○○おじさんだ!」とかになるらしいのだが、次女の生まれ変わりは○○おじいちゃんといったようなレベルではなく古い方らしい。

その人は男性。
素直な人で、つつましい暮らしを送っていたそうだ。

3 Bulananの希望を聞くと、なーんでもいいと。
クバヤの色もバンタンの豪華さも、儀式の場所だってシガラジャでもデンパサールでもどこでもいいと。

その人の希望は、こういったもの。

・自分はタンカスの人間。シガラジャのムラジャン(小さい家寺)に報告に行く前に、クルンクンのプラ・カウィタン(先祖の家寺)に報告に行って欲しい。


通常我が家では、子供が生まれるとシガラジャにある家寺に報告に行くのだが、

こちら↓
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ではなく、クルンクンの

こちら↓
FB_IMG_1507695394728[1]

へまず行って欲しいと。


もう一つは、

・名前に「タンカス」を入れて欲しい。

とのこと。
この時点で既に出生届を出してしまっていたので、事実上名前を変更するには裁判所へ行く必要があるので、お寺への報告時にタンカスを入れた名前での報告とすることに。

ちなみに、次女の名前は・・・

Ni Kadek ○○(日本の名前)Arya Savitri

なのだが、AryaとSavitriの間にTangkasを入れることになった。
な、ながい・・・


そして最後の願いは・・・

・決してお腹をすかせて泣かせるようなことはしないで欲しい


その人はその昔、幾度となく空腹の為涙を流したそうだ。
それは戦争の時代だったのかもしれない。
はたまたそれより昔のバリを開拓している時だったのかもしれない。

現代では空腹で死ぬほど辛い思いをするなんてことは殆どないかもしれないが、昔は珍しいことではなかったのだろう。
ただ、自分の娘の前世の人がそんな辛い思いをしてきたなんて・・・

無邪気に笑う娘の顔を見ながら、
少し目頭が熱くなってしまった。


もう大丈夫。
決してそんな思いはさせないから。

私は料理があまり得意ではないのだけれど、
おいしい、おいしい、とたらふく食べてもらう為にも
料理上手なお母さんにならなきゃな。




赤ちゃんの儀式 ~3 Bulanan~

2017年 09月29日 15:00 (金)


※旅行記の途中ですが、ここで一旦先日あった3 Bulananについて書いていきたいと思います。(先日と言ってももう3週間程前になりますが・・・
このタイミングで書かないと、儀式の話を書くのがいつになるか分からないので・・・



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この日は待ちに待った次女の3 Bulanan(ティガブラナン:3ヶ月の儀式)。
もう本当にこの日が早く来てほしくてしょうがなかった。
というのも、この3 Bulananが終わるまでは自宅にほぼ軟禁状態だったため・・・

バリヒンドゥーでは、この3 Bulananを迎える日までは赤ちゃんは人間ではなく神側に近い存在とされていて、魂が非常に不安定な状態だと言われている。
なので、不用意に外出して道中にNgaben(火葬式)などがあったらどうするんだ!!
というのが一般的なバリ人の発想で、多くのバリ人は赤ちゃんを連れての外出を控える。
(まぁ、まだ小さいからというのもありますが。)


というわけで、この3 Bulananが終わればそういった心配事が一つ減ることにもなるので、親としては嬉しい。


こういった儀式がある時はバリの人たちはこの上ない一致団結力を発揮するので、ずんずんと準備が進められていって迎えた当日。
色とりどりのお供えものが次々と運び込まれる。
長女の時はシガラジャの田舎で儀式を行ったのだが、今回はデンパサールの自宅で行う為、ティルタ(聖水)はシガラジャから親戚に運んできて貰う。

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で、儀式の準備をする過程で今回気付いたこと。
シガラジャとデンパサールでは儀式の内容が結構違う、ということ。

シガラジャでは、この3 Bulananはプダンダ(最高僧)さんに執り行ってもらい、お供えも豪華、でこの次にひかえる1 Oton(サトゥオトン:6ヶ月の儀式=バリヒンドゥーの誕生日)は控えめで、3 Oton(3回目の誕生日)を盛大に迎えるのが一般的。
一方デンパサールでは、この3 Bulananはマンクー(一般僧)さんでもOKで、1 Otonが豪勢となる。

シガラジャの3 Bulanan=デンパサールの1 Oton
と言った感じ。
同じバリヒンドゥーでも、地域によって儀式の内容が変わってきたりするのはよくあること。
今回はデンパサールで行うものの、儀式の内容はシガラジャ式でお願いしておりプダンダさんにとり行って貰うことに。


そして、今回の儀式を待ちに待っていたもう一つの理由は・・・


儀式でグンデルの演奏をしてもらえることになったため~


バリ人的にはどうってことない普通の事なんだけど、我が家は今まで家族の儀式でグンデルの演奏をしてもらったりしたことがなかった。
が、今回の儀式の前にラディタ先生から、「グンデル演奏しようか?」と声がかかり、もうこれ以上嬉しいことはない!
ってことで、お願いすることに。
当日はラディタ先生と、いつも一緒にグンデルを弾いてくれるKさん、そして現在スカワティでダラン(影絵人形師)の修行中のK.Kさん(既にスカワティのお寺でダランとしてデビュー済み!←これは本当に凄いことです)の豪華メンバー。

プダンダさんが到着して、お祈りが始まると共に鳴り響くグンデルの音。

自分のグンデルが儀式の演奏に使用されるのは初めてのことで、感激もひとしお。
儀式の際にグンデルの演奏があるということはこんなにも良いものなのか、と改めて実感。

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Kさん、顔出しOKだったでしょうか!?いい笑顔だったものでつい



儀式は進み、プダンダさんからお呼びがかかる。

まず、赤ちゃんは母親から引き離され、代わりにパパイヤを抱っこする。
パパイヤには手足に見立てて棒が刺さっており、それぞれに清められた赤ちゃん用の装飾品がかけてある。

↓こんなの
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これは3 Bulananが終わってから1ヶ月程赤ちゃんが身に着けるもの。
(魂が不安定な状態から開放された赤ちゃんを守るもの、だと勝手に解釈している。)



それからパパイヤを抱っこしたままお祈りをし、お供え物の周りをぐるぐる回ったりする。

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その後赤ちゃんは沐浴され、パパイヤと引き換えに母親のところへ戻る。

それからはよくある儀式と同様、頭に色々巻かれ、ナターブ(ドゥパの煙を浴びる)したり、ティルタ(聖水)をあびたりして儀式は終了。

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ちなみに、シガラジャで行った長女の時は、

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↑Turung tanahといって、地面に足をつけたり、鶏(あひる)に頭を突かれたり、

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↑プダンダさんに髪の毛を切られたり。


今回はこれらがなかったので、地に足をつけるのは次回1 Otonまでお預け。
儀式の内容は意味不明なことが多いけど、これでひとまず安心。
無事に何事もなく儀式が終わって本当によかった~。



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日本でも報道されている為、多くの方がご存知かと思いますが、
現在バリ島最高峰のアグン山がいつ噴火してもおかしくない状態で、多くの周辺住民が避難生活を余儀なくされている状況が続いています。
アグン山から60km以上離れた我が家でも、いつ大地震が起きても直ぐに逃げ出せるように、貴重品と数日分の赤ちゃん用品を一まとめにしておいています。
自然災害に対して私達人間が出来る事は、備えと祈りだけ。
被害が最小限となりますよう、祈る日々です。



ベモでバリ島1周!! ~その3~

2017年 09月07日 15:49 (木)


※ただ今育児休暇中のため、ガムランを離れて2009年のバリ島旅行記となっています。
料金は当時のものなので、参考にしないで下さいね。



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バリ島滞在期間は2週間のみなので、先を急ぐ。
ジェゴグ鑑賞の次の日、ヌガラを出発しギリマヌクを経てロビナへ向かう。
朝早めにホテルをチェックアウトして、ホテルの隣のバスターミナルでギリマヌク行きのベモ探し。

が、これまた難航。
デンパサールのバドゥン市場での宿探しの時より英語が通じない
インドネシア語が話せないので英語で聞こうとするのだが、みんな何を話しているのか分からない外国人の相手をしたくないのか聞いても目をそらされる。
こうなれば単語のみで!と、「ベモ、ギリマヌク」と言っても、明らかに相手にしたくない様子がありあり。
(私のギリマヌクの発音が悪いのか、お金にならないからからか。)

どうしようかなー、と考えていると、バスターミナルの一角で人だかりが出来ていたので近づいてみる。


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どうやら闘鶏用のニワトリを売っている様子。

そういえばバリの男性は闘鶏が大好きだったけな、としばし鶏を見ていると隣にいた若い男性が「鶏が好きなの?」と英語で話しかけてきた。

「英語が話せるの!?」
救世主発見。
状況を話す。

「ロビナに行きたいの?僕はこれからジャワに渡るためにギリマヌクに行くからついでに車に乗っていけばいいよ!」

普段なら初めて会った人の車にはそう簡単には乗らないのだけど、車を見てぜひ乗せてもらうことに。
そこには5歳くらいの可愛い女の子の姿。
若い男性は若いお父さんだったのだ。

話を聞くと、彼らはデンパサールとウブドの中間のバトゥブランというところで靴屋を営んでおり、ジャワに靴を仕入れに行くところだという。

ついでとは言え、優しさが身にしみる。

娘さんは、はじめ突然乗ってきたあやしげな外国人に警戒心満載だったが、クッキーを渡すと少し心を開いてくれ、しきりに父親に「どうしてこの人インドネシア語が話せないの!?」的なことを聞いている。


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道中、儀式があるとスピードをおとしてくれて、「写真とりなよ」という優しさ


しばらくすると車はギリマヌクのフェリー乗り場に到着。
お父さんは車を降り、ロビナ行きのベモを探してくれる。

ここまでのお礼としていくらか払おうとするが、かたくなに断られて
「Have a nice trip !!」
と快く見送ってくれた。

何て良い人なんだー!!


ロビナ行きのベモに乗り込み運転手の後ろの席に座り込むと、ベモはロビナに向けて出発した。


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ロビナは海沿いの町。
海が見えてきた。

同乗者の支払いの様子を見ていると、どうやらギリマヌクからロビナまでは2万ルピア程度の様子。
ベモがロビナの町の中心部に到着し、2万ルピアを払おうとすると運転手に「4万ルピアだ」と言われる。
いくらなんでも倍はちょっとないよな、と思い「正規料金で」といいながら3万ルピア手渡すと、運転手は仕方ないなという顔でベモを出発させた。

ここからは歩いて宿探し。
しばらく歩いているとホテルらしきものがちらほら見えてきた。
と、店頭で仏陀グッズを売っているお店が目についた。
どうやらお店の奥は安宿になっているようで部屋を見せてもらう。
決して豪華ではないが清潔であり、インテリアの趣味もよい。
値段を聞いてみると、朝食込みで一泊4万ルピア(約400円)だという。
あまりの安さに驚いてもう一度聞いてみるが、やはり何度聞いても4万ルピア。
値段交渉の必要もなくこの宿に決めた。

この宿のオーナーはバリ人女性で、夕方になるとお店に戻ってきた。
仏陀が好きなのか聞いてみると、欧米人にうけるのだという。
なるほど。
しばらく話していると、やりたいことはないのかと聞いてきたので、しいていうなら闘鶏を見てみたいと言ってみた。
オーナーは「ちょっと待って」と、知人に電話をかけ始めた。
なんと、丁度次の日に闘鶏が近くで行われるとのことだった!
なんてグッドタイミング。
オーナーの知人に案内してもらうことにした。
オーナーは、「闘鶏ツアーね~♪」なんて私よりはしゃいでいた。


次の日のお昼頃、バイクに乗ってバリ人のお兄さんが宿にお迎え。
山奥の闘鶏場へと連れて行ってもらう。


会場は熱気にあふれている、というか少し異様な雰囲気でちょっと入るのに怖気づく。
会場内は男性しかおらず、女性といえば近くで飲みものを売っているおばちゃんくらい。
どうやらバリ人女性は闘鶏場にはよりつかないようだ。(そらそうか)
私は外国人なので特別に入れてもらっているようなものか。

会場が異様な雰囲気なのもそのはず。
闘鶏はお金がかけられているのだ。
無知な私は闘鶏が賭博だったということも知らず、やや場違いな感じ。
会場の端のほうでちょこちょこカメラを向ける。

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※この時はどうだったのか知りませんが、現在バリ島では闘鶏は禁止されており取り締まられています。不用意にカメラを向けると、証拠が残る、通報されると思われカメラを壊されることもありますので、ご注意ください。
唯一許されているのは、儀式上の闘鶏のみ→鶏の血を神に奉げる意味で


カメラを咎められることもなく、(というかみんな賭けに夢中で気にしていない)時には「俺の鶏を写せ!」と鶏自慢されることも。

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バリの文化を少し垣間見る。


~つづく~



***


ちょっと風邪をこじらせダウンしていました・・・
どれだけ予防をしていても、5歳の長女が年がら年中幼稚園から風邪のウイルスをもらってくるので、我が家は毎月風邪祭り。
そんな状態でも待ってくれないのが、ヒンドゥー教の儀式と育児。
儀式関係は夫に丸投げだが、そうなると土日であろうが育児で夫を頼れない・・・
意識朦朧としながら、赤子だけは落とすまいと必死の日々。
日中は抱っこでしか寝てくれないので、既にぎっくり腰も2回目。
昔手術した膝も痛みで曲がらなくなり・・・
アラフォー育児はんぱない・・・

なんて、少し弱音を吐いてしまいました。

週明けにはいよいよ次女の3 bulanan(3ヶ月目の儀式)。
何としてもそれまでにはすっきり治さなければ!!



ベモでバリ島1周!! ~その2~

2017年 08月17日 17:17 (木)


※ただ今育児休暇中のため、ガムランを離れて2009年のバリ島旅行記となっています。
料金は当時のものなので、参考にしないで下さいね。



***************



バスはデンパサールのウブンバスターミナルを出発し、約3時間ちょっとでヌガラに到着。
ヌガラまでの道はのんびり~、という感じではなく、田舎道をトラックがびゅんびゅん飛ばしていくことが多く、気が休まることがなかった。

ヌガラで泊まる予定のホテルはガイドブックを見てめぼしをつけていたものの、少し疲れてしまい炎天下の下を歩いて探す気になれなかったので、バスターミナルのベモにホテルまで送ってもらえないか頼んでみた。
「OK、OK~!」とベモはバスターミナルを出発し、ぐるりと1周して似たような風景のところへ到着。
なんてことはない、ホテルはバスターミナルのすぐ隣だったのだ。
やられた・・・と思いながら1万ルピアを払うが仕方ない。

そのホテルは豪華な部屋(30万ルピア)と質素な部屋(7万5千ルピア)があからさまに分かれており、私はもちろん質素派。
同じ値段でもデンパサールのホテルとは雲泥の差。
驚くほど汚かったが、まあ死にはしないので気にしない。
ホッと一息つく。


ヌガラに来た目的は・・・


もちろんジェゴグ鑑賞!!


といっても私がジェゴグのことを知ったのは中島らもさんの小説に出てきたからであって、いつどこで鑑賞できるかなどの詳細は不明。
当時は(私の中では)インターネットで情報を探すというのは一般的ではなく、もちろんスマートフォンなんてものもまだ出回ってなかった(と思う)。
あるのは、木曜日の夜にジェゴグ公演がある、というガイドブックの情報のみ。
到着した日は水曜日だったので、翌日行われるであろうジェゴグ公演についてホテルのスタッフから情報を集めてみることにした。

まずはレセプションの女の子達に聞いてみるが、「え~、知らなーい。」といった感じで
詳細は分からず。
困ったなぁ、という顔をしていたら、「あそこにいるスタッフなら知ってるかも」と言われ、駐車場で洗車中の男性スタッフに聞いてみる。

「明日公演が行われるかどうかは知らないが、場所なら知ってる。」とのことだったので、明日の夜会場に連れて行ってくれないかと交渉。
3万ルピアで交渉成立となった。

明日の夜に本当にジェゴグの公演があるかは分からないが、とりあえず行ってみるだけ行ってみよう。
やっていなかったら縁がなかったと思いまた次の機会に、ということで。


※ジェゴグとは・・・ヌガラ地方に伝わってきた巨大な竹を使ったガムラン。オランダ制圧時代に竹は武器になるということで禁止され、それ以降幻のガムランとなっていた。そのジェゴグを復活させたのがスウェントラ氏。スウェントラ氏率いる「スアール・アグン」は日本でも公演を行っており有名。



ヌガラは観光地ではないので、これと言ってみて回るところもなく近くの市場をぷらぷらしたりしながら夜を待つ。

夕方、ホテルのロビーで待っていると約束していたスタッフがバイクでやって来た。
会場はホテルから20分程かかるという。

バイクに乗って会場へ向かっている間に、あたりはすっかり暗くなっていた。
会場と思われる場所に着くと、明りがついており多くの人の気配。


やった!!
ジェゴグの公演開催してるー!!



送ってくれたスタッフにお礼をいい、会場へ入っていく。
近くにいたスタッフと思われる人にジェゴグの公演を観たいことを伝えると、かなり驚かれてマネージャーらしき人を呼んできてくれた。

「一人でここに来たんですか?」
と言われ、
「そうです。」
と答えるとマネージャーは困惑顔。

あれ??もしかして飛び入りでの鑑賞は出来ないのかな???
と、ドキドキして聞いてみたら、

「大丈夫です。」
とのことでホッとした。

言われた鑑賞料を払うと、
「高くてごめんなさい!!」とこちらが恐縮するほど謝られてしまった。
(確か28万ルピアくらいだった気がする。ウブドのバリ舞踊公演が当時8万ルピアだったので、確かにそれに比べるとべらぼうに高い。)

と、そんなやりとりをしていると、何人かの日本人のお客さんがガイドさんに連れられて入ってきた。
どうやらヌガラジェゴグ鑑賞ツアーというものらしく、そのツアーのお客さん達の中に私が一人紛れ込んだようだった。
どうりで高い鑑賞料。
納得。

会場にはジェゴグの楽器が並べられていて、その前には鑑賞席が設けられていたが、飛び入りの私の分はもちろんない。
なのでスタッフ達が待機している東屋に腰をかけて鑑賞することにした。
演奏者らしき人から、「昼間、市場にいただろー。」と声をかけられ話していると、ジェゴグの第一人者スウェントラさんの挨拶が始まった。

「みなさん、本日はヌガラまでお越しいただき・・・」
と、スウェントラさんはもの凄く日本語がお上手!!

挨拶に続いてジェゴグの説明が行われ、いよいよ演奏!!


おおぉ!!!


初めて聞くジェゴグの音は、今まで聞いたことのあるどんな音楽とも異なっていて、一気にステージに引き込まれる。
巨大な竹の楽器からうねるような音が次々とつむぎだされ、まるで時空がゆがむような感覚を味わう。


これがジェゴグ・・・
凄い!!



の一言。

ステージといっても竹の楽器は直接地面に置かれており、バックはバリの木々が生い茂っておりまるでジャングルのよう。

自然が生み出す大地の音。
ジェゴグはそんな音楽だった。



来てよかった。
大満足なヌガラの夜だった。



~つづく~



※この後、スアールアグンのジェゴグは全部で3回鑑賞したけど、
やはりこのヌガラでのステージが一番心に響いた。




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カメラの性能があまりよくないのでブレブレですが、ジェゴグステージはこんな感じ。


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ブレブレなついでにスウェントラさんとのツーショットも
ミーハーなもので