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今日の練習曲【Ombak ombak】@Sukawati

2016年 03月29日 17:09 (火)


この日は珍しく午後からの日曜日のスカワティでの稽古。
先週は稽古に行けなかったので、2週間ぶり。
普段なら稽古前に前もって練習などは行わないのだけど、この日は朝から必死。
なぜなら・・・

“Rebong Sukawati”が弾けなくなってしまったから・・・!!

ここしばらくデンパサールでのワヤンの練習に打ち込んでいて、カユマス・スタイルのレボンを習った後、案の定スカワティ・スタイルのレボンを失ってしまった。
非常に似ていて、微妙に違うこの2曲。
スカワティ・スタイルを弾いていても、似たようなフレーズがくると勝手に手がカユマス・スタイルへと移行してしまう・・・
Memadu(ぶつかり合い)を起こしまくり。
まずい、非常にまずい。
このままだとサルゴ先生から大目玉を食らうこと間違いなし!!

なので、必死で朝から家練習。



午後からサルゴ宅に着いて、まず手始めは・・・レボン!!
よかったー、練習してきておいて。
何食わぬ顔で弾いていたけど、内心ひやひや


お次はSekar Madu。
こちらも朝からの練習のかいあって、「うん、まぁいいだろう。」とOK。

Bima Kroda、Partha Wijaya・・・と弾いて、サルゴ先生が聞きなれないフレーズを弾き始める。

「うーん、これポロスの最初どうだったかなー?」
なんて言いながら。

その様子をぼんやり眺めていると・・・

「Ombak ombakだ。どうする?Gerebegを先にやるか?」


え・・・
ついに来た!!
Ombak ombakでお願いします~


Ombakとは「波」という意味だ。
インドネシア語で波を意味する言葉は2つあり、1つは強弱の波でも使われる“Gelombang”。
こちらは波のうねりを表す時に使われる。
もう1つは“Ombak”。
こちらは、サーファーの人が乗るようなダイナミックな波を表す。
(私なりの解釈です。)

この「Ombak ombak」という曲は、激しい波が迫り狂い、そして鮮やかに引いていく様を見事に表現しためちゃくちゃカッコいい曲なのだ!!
随分前にYou Tubeでサルゴ先生と息子のW君が弾いているのを見て、いつか私も弾いてみたいと密かに願っていた曲。
サルゴ先生のお気に入りの曲でもあり、確かBAPO(ラディタ先生のお父さん)のお葬式でもサルゴ先生はこの曲を弾いていた。
(約2年前のこと。この時、サルゴ先生とはまだ面識がなかった。)

この曲はカランアッサム地方のアバビという地域の曲で、サルゴ先生がそれを少しアレンジしたもの。
スカワティで稽古を始めることになったら、絶対に教えてもらいたい!と思っていた曲の一つだ。
まさかこのタイミングで教えてもらえるとは。
嬉しい・・・


左手の使い方が少し独特なこの曲。
今までYou Tubeで数え切れないほど見ているので、左手の音程は頭に入っているが、実際叩いてみるとそう上手くはいかない。
でも、とにかくこの曲が教えてもらえることが嬉しくて、ニヤニヤしながら練習していたと思う。(キモくてすみません)


この日はひとフレーズのみ。
ざっと数えたところ、この曲は6~7フレーズくらいに分かれていたので、ちょっと長期戦になる予感。
でも嬉しい。


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ワヤン演奏  ~Part-3~

2016年 03月26日 21:20 (土)


前回のワヤン演奏は10月の終わりだったので、約5ヶ月ぶり、今年に入って最初のワヤン演奏。
あんなに練習したんだから大丈夫、と自分に言い聞かせるけど、相変わらずプレッシャーに弱い私、前日は案の定お腹をこわす・・・
その後なんとか建て直し、いよいよ迎えた当日。

前回のワヤンルマの時のようなバタバタ感はなく、8時にはラディタ先生の家に着いてスタンバイ。
「そろそろ会場に行こうか。」
と通りを挟んでむかいにある、本日の会場であるラディタ先生の親戚の家へ向かう。
無事会場に着いた時点でまずはホッと一息。


今回のワヤンルマは、赤ちゃんのサトゥ・オトン(ヒンドゥー教の1歳の誕生日)での演奏。
会場内はラディタ先生の親戚の方々が準備で大忙し。
赤ちゃんが生まれてからの儀式は色々あるのだが、ここデンパサールではこのサトゥ・オトンが盛大に行われるみたい。
(シガラジャの田舎ではティガ・ブラナン(3が月)の儀式が大きくて、サトゥ・オトンは普通、ティガ・オトン(3歳の誕生日)でまた盛大に儀式を行う。)
バリでは場所によって儀式の内容が若干違うのは普通。

ワヤンルマは、ワリといって神様に捧げる芸能となる為、始まるのはプダンダさん(高僧)が来てお祈りを始めてからとなるので、まだしばらくはスタンバイ。
それまでは子供達がグンデルを演奏すると聞いていたので、楽しみにしていた。
用意されていたグンデルは4台。
見渡したところ、会場にいるグンデル弾きの子供は2人。
あれ?数足りなくない??
と思っていたら、私も頭数に入っていた

・・・・・。
ヤバイ、かなりヤバイ。

いや、グンデルを儀式で演奏できることはことのほか嬉しいのだけど、ここしばらくワヤンの練習に集中していて、ワヤン以外の曲はほぼ練習していなかった。
子供達の弾ける曲を思い浮かべてみると、もう随分練習していない曲ばっかり。
本当にヤバイ、と思いつつグンデルの前に座る。

ラディタ先生は忙しくしていて席を外していたので、甥っ子さんが向かいに座る。

「Sekar Sungsang Kayumasでいい?」

と、断る間もなく始まる演奏。
おぼろげな記憶で何となく弾いてみるけど、案の定あちこち間違えまくり・・・
あららら・・・

子供達がプマデで弾くと言うので、喜んでカンティルへ移る。
お次はKatak Ngonkek。
はい、また間違えましたー。
カンティル(小さいグンデル)だから、何食わぬ顔で弾いていたけど。

で、ふと見てみるとラディタ先生の家から次々とガムランが運ばれてくる。
今回はグンデルの演奏以外ないと聞いていたけど、プダンダさんが遅れているみたいで、しかもガムラン弾きが思ったよりも集まっていた為か、「あれ?プレゴンガンいけるんじゃない?」となった様子。
なので、プレゴンガンとグンデル演奏が交互に。
ちょっと助かった。

とにかくここの親戚やらバンジャールの人やらはみんな軽々とガムラン演奏が出来るのだ。
前持った練習もなく、打ち合わせもなく、さらりとプレゴンガン演奏開始。
その中にさらりとKさんもゴンで参加。
さすがだ。

私は、というと全ての曲を間違えながら子供達とグンデルを演奏していたのだけど、ふと見ると見たことのある方が登場。


え・・・?
ダラン・パッ・クンバールがなぜここに・・・???


と、大御所ダランの登場に緊張が高まる。
確かにE君はパッ・クンバールの愛弟子だけど、弟子のワヤンを観に来たの?
いや、いや。
確かラディタ家と親戚付き合いもないはずだけど。
(理由は後ほど判明)

ダラン・パッ・クンバールの登場で、この後ワヤンの演奏だったんだと、緊張が高まってきた。

結局、プダンダさんが来たのは11時頃。
3時間待ちでしたー


で、急いでワヤンの準備。
ラディタ先生に、「グンデル4台使う?」とアピールすると、「うーん」となって、急遽甥っ子君たちを呼び寄せる。
やったー
4人演奏だ~
助かったー
(きっとさっきの私の不甲斐ない演奏を見て、ラディタ先生も心配になったんだろう。)
甥っ子君たちはワヤン演奏を何度も経験しているベテラン。
これは心強い。


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で、4人でオープニング何にする?Sekar Ginotan?なんて話していたんだけど、「Sekar Sungsang Sukawatiで(キリッ」なんて自分で言っておきながら、思い切り間違えました~。(ここまでくるともう開き直り)

Sekar Sungsang後は、Pemungkahでいよいよワヤンの始まり。
若干テンパリながらも、前回のように手が震えることはなく何とかクリア。
Pengrumrum、Tulang Lindungに続き、Alas Arum~Pengalangakara辺りでようやくワヤンに気が向くようになった。(遅い)

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次はいよいよ問題のアンカタン。
ラディタ先生は、ワヤンの場面を見ながらその場その場に合わせたアンカタンを演奏しながら覚えていけばいいと言っていたけど、やっぱり集中してみてもワヤンが今どんな場面なんだかさっぱり分からない・・・

もう、とにかくついていくだけで必死。
会場には大物ダランがいるだとか、グンデルの猛者達がいる前での演奏だとかそういうことは忘れて、もうとにかく必死。

やがて、「Menangis~(泣いちゃうよ~)」という台詞が聞こえてきた。
悲しみの曲、Mesemだ。
よかった、これはサインが分かりやすいのですんなり入れた。

この後、もう何回かアンカタンを演奏した後に、タイムアウトの合図。
プダンダさんのお祈りが終わったのだ。
ワヤンの物語はまだ途中だったけど、強制終了。
これはワヤンルマにはよくあること。
仕方がない。

さぁ、いよいよダランさんによる聖水作り、というところでダランがE君からパッ・クンバールに交代した。
E君だって聖水は作れるのに・・・?と思っていたら、主役の赤ちゃん登場。
なるほど、前回のワヤンルマはお葬式後の儀式だったので聖水をかける対象はもうお亡くなりになっていて聖水を作るだけだったが、今回の対象は赤ちゃん。
ここは貫禄のある有名ダランに聖水をかけて貰うということか。


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この聖水作りはプダンダにも許されない、ダランのみに許された特権。
ワヤンを神様に向けて演じるのは、全てはこの聖水の為。
ワヤンに神様からの力が入り込み、そのパワーを聖水に注ぎ込むのだ。
赤ちゃんのこれからのすこやかな人生を祈って。


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ここは、名場面。
とたんにダランさんと赤ちゃんの周りをカメラマンが囲んでフラッシュタイム。
私もどさくさにまぎれて~。




幸せな人生となりますように。




******




この日の様子をちょっとご紹介。



グンデルの手元まで映るかな?と期待してカメラをセットしたけど、映っていたのは頭だけという(笑)
なので、美しいカヨナンの舞にご注目下さい。
ちなみに演奏はつっこみどころが満載なのですが、全てポロスの私が不甲斐ないからなので、スルーでお願いします。

カユマススタイルのワヤン演奏はこのフレーズでダランさんがこういう動きをするという参考になれば・・・




ダランさんとの合同練習(ワヤン演奏直前)

2016年 03月24日 12:24 (木)


この日はワヤン演奏前のダランさんとの打ち合わせの為の合同練習。
今回のダランさんも、ラディタ先生の甥っ子のE君のため、私の練習日に合わせてE君が来てくれた。
今週は、あともう1日練習出来るかと思っていたけど、急遽ラディタ先生に仕事が入りこの日がワヤン前、最終練習日。



E君到着後、話題はついこの前あったワヤン・ルマー公演に関してでもちきりだった。


2~3日前、ラディタ先生はワヤン演奏に参加していた。
(残念ながら私は観にいけなかった。)
相方はラディタ先生のお兄さん。
ダランさんはデンパサールの重鎮、Pak Kembar。
場所はクシマン。

通常はダランさんが所持するワヤンを使用するのだが、この時はクシマンにあったワヤンを使用したのだそう。
グンデルがオープニング曲を奏で、ダランさんがワヤンの木箱を3回叩き、これからワヤンが始まる・・・という瞬間。
ワヤンの木箱を開けたところ、何とワヤンが入っていなかったんだそう。
正確に言うと、ワヤンは入っていた。
普段ほとんど物語りに使われないワヤンが・・・

クシマンにあったワヤンの木箱は2箱あり、メインではない方のワヤンの箱を持ってきてしまったのだ・・・

これには流石のダラン・クンバールも真っ青・・・

と思いきや、そこは経験豊かなダラン・クンバール。
とっさにラクササ(1000の頭がある怪物)をカヨナンの代わりに使用。
物語のメインであるパンダワ兄弟のワヤンも殆どなかった為、普段は滅多に使われないプダンダ(お坊さん)のワヤンを使い物語をとっさに作り上げてその場を乗り切ったのだそう。

「あれは、クンバールさんだから出来たこと。他のダランだったら厳しかっただろうね。」
とラディタ先生。

流石だ・・・ダラン・クンバール。
私がもしその立場だったら、きっとパニックになって失神していたかも・・・


ワヤン公演、何が起こるか分からない。


私はそんなとっさのアドリブは無理なので、しっかりと事前に打ち合わせ~

まずはカヨナン舞の部をしっかり合わせる。
ここは一旦止める、アンセル入れず、カヨナンが上から降りてきたらこのフレーズに移行、とか何度も。

その後は、最初から合わせてみる。
Pemungkah~Delemまで。
Alas ArumではE君がグンデルに合わせて唄ってくれる。
何度聞いても心に染みる。

最も合わせたかったアンカタンは、ワヤンもないしちょっと無理ということで、そのまま本番で感覚を覚えてねだって・・・

で、気になっていた使用曲(Rebong/Mesem/Bendu semara)だけど、「ブンドゥ・スマラかなぁ・・・」とE君。
よかった、ブンドゥ・スマラちょっと自信ないから前もって集中して練習が出来る。

後は、アンカタンひたすら家練習かなぁ、とこの文章を書いていたら、

「明日のワヤン、レボンもメッサムも使うって。」
と先ほどラディタ先生からメールが入った。

ヤバい。
どちらもかなりヤバい・・・

と言う訳で、これからちょっと練習してきます~



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バリのお寺について ~その2~

2016年 03月21日 17:06 (月)


バリ寺院 ~その1~の続きです。
今回もかーーなり長くなります~。



******



前回は、数あるバリ寺院の中でPura Kawitan、Pura Pedarman、Pura Umunについて説明したが、バリの寺院として絶対に外せないのが、Pura Desa、Pura Puseh、Pura Dalemと呼ばれる寺院だろう。


この3つの寺院のことをKahyangan tigaと呼び、各村に必ず3つずつ建てられ、地域に密着した寺院となる。


Desaとは村のことであり、これらの寺院を管理しているのはもちろん村。
更に、デサはバンジャールと呼ばれる集合体(町内会みたいなもの)に分かれている。
ただ、日本の町内会とは違い、引越ししたからといって縁が切れるわけではない。

バリ人はこのバンジャールという組織なしでは生きられず、バリ人が生まれてから亡くなるまでの全ての儀式がバンジャールの協力の下とり行われており、正に運命共同体ともいえる。
また、このバンジャールにはバンジャール・アダット、バンジャール・ディナスとあり通常は両方を同じバンジャールに置いている人が多い。

アダット(Adat)とは習慣という意味で、主にバリヒンドゥーの儀式やお祭り事を取り扱う。
一方ディナス(Dinas)とは~局といった意味合いで、KTPと呼ばれる身分証やKKと呼ばれる戸籍のようなものなどの役所関係を扱うバンジャールである。
我が家は結婚を機にバンジャール・ディナスはデンパサールに、バンジャール・アダットはシガラジャへと分けた。
夫はシガラジャで生まれ育った訳ではないので、将来的にもシガラジャで暮らすことは考えにくく、職場がデンパサールなので役所関係の書類が身近で行えるように。
(バンジャール・アダットもデンパサールに移してはどうか?と提案してみたが、義父の強固な反対にあい断念。)
結婚の際に、シガラジャのバンジャール長とデンパサールのバンジャール長が書類を取り交わし、それぞれ本人と親がサインをしている。
(結婚式に参加した私の父も、何が何だか分からないままに書類にサイン笑)
バリ人の場合でも同じ。
お嫁さんがよそのバンジャールから来た場合は、この書類が取り交わされる。


もちろん、プラ・デサの行事はバンジャール・アダットの管理下。
なので、プラ・デサのオダランの際は私たちはシガラジャへ帰る必要があり、現在住んでいるシダカルヤ村のプラ・デサ関係には関わることはない。


プラ・デサにはブラフマ神が祀られており、主に村の特別な儀式を行う。その代表的なものが先にあったニュピ前のムラスティだ。プラ・デサにあるご神体を海で清める儀式になる。その他、村中を清めるムチャルーをとり行うこともある。


一方、プラ・プセーにはウィシュヌ神が祀られており、主に人々の生活により密着する儀式がとり行われる。これがいまいちどのようなことを指すのか分かりづらいのだが、鉄に感謝する、米に感謝する、動物に感謝する、お金に感謝する、といったTempek系かな?と思っている。(知ってる人がいたら教えてください。)
ちなみに、バリではあまりにも多くの寺院があるため、場所の節約としてこのプラ・デサとプラ・プセーが一つにまとめられている地域もある。(中で分かれている。)


そして、最後のプラ・ダレムにはシワ神が祀られている。シワ神は破壊の神であり、プラ・ダレムは死者にまつわる寺院だ。村のお墓や火葬場の横に建てられており、亡くなった人の為の聖水をここでもらう。


ちなみにこれらの寺院で行われる儀式は村によって違う。
Hari Rayaと呼ばれるバリヒンドゥーのお祭りの時に、プラ・デサにお参りに行く村もあれば、プラ・ウムンに行く村もある。
(私たちが住んでいるシダカルヤ村は、ガルンガンの時にプラ・デサは閉まっていたので、村人は他のプラ・ウムンへお参りに行っているのだと思われる。)


ここまでは、まぁつまづくことなく何となく分かるのだが、最後のプラ・ダレムが実はバンジャールの関係とややこしく絡んでおり、また夫を問い詰めることとなった(笑)


ここでも出てくるのは、やっぱりご先祖関係。
というか、人が亡くなってからの流れというか。

先ほど、結婚の際にバンジャール・アダットを移そうとして強固な反対にあい却下されたと書いたが、私はずっとこの理由を「外国人嫁の手に余る」だと思っていた。
実際、バンジャール・アダットの行事とは山のようにあり、同じバンジャール内で結婚式や赤ちゃんの儀式、お葬式、となったら借り出されてバンタン(お供え物)作りなんてざらである。
夫と「君、バンジャール付き合いできる?」「無理」「僕も」といったやりとりがあり、めちゃくちゃ大変なバンジャール付き合いを回避する為だと思っていた。
(ちなみに、シガラジャのバンジャールはめちゃめちゃ緩く、忙しくて帰れない、といった理由で参加出来なくてもお金さえ払えばOK。これがNGのバンジャールも多く有り、あまりにも不参加の場合は村八分されたりもするというから怖い・・・)

だが、実はこの根底にあるもう一つの理由が隠されていた。
それは、バリ人の人生最後にして最大の儀式、「Ngaben(火葬式)」だ。
バリ人はこのNgabenを人生における最も大切な儀式として扱っており、お隣のジャワの人達に「バリ人はNgabenの為に生きている」とまで言われるほどだ。

Ngabenの流れを簡単に言うと、

亡くなる→焼く→海に灰をまく→魂のみをお供え物に戻す→そのお供え物をサンガ(家寺)に祀って魂は天界へと召される

といった具合(違ったらすみません)。
ただ、このNgaben、もの凄く費用がかかる為、家族が亡くなったからと言って全ての人が直ぐに行えるものではない。
お金が直ぐに用意出来ない場合は、後々お金が貯まってから行っても良い。
じゃ、ご遺体はそれまでどうするかというと・・・

①まず焼いてお骨を灰とし、その後の儀式は後々行う。
②まず土葬し、準備が整ったら掘り起こして一連の儀式を行う。

となる。
この時②の場合、ご遺体をどこに埋めるか・・・というのが問題になる。
通常は、プラ・ダレムの横にあるお墓のような土地となるのだが・・・


例えば、シガラジャ出身の若者がいたとしよう。
仮にA青年とする。
A青年のバンジャール・アダットはシガラジャ。
その後、ヌサドゥアで就職し、奥さんと出会って結婚。家はヌサドゥアに建てた。
ヌサドゥアからシガラジャはかなりの距離となりなかなか帰れないので、A家族は結婚を機にバンジャール・アダットをヌサドゥアの家を建てた場所のバンジャールへと移した。
子供にもバンジャールに密着した生活を味合わせたいと思ったからだ。
この時点でバンジャールはダブルとなる。(シガラジャには家族も多くおり、先祖代々の寺もあるのでもちろん常に籍を置いている。)
シガラジャへ帰れる時はシガラジャで儀式に参加し、帰れないときは現在地でのバンジャール活動をするという二重生活。
やがてAさんは亡くなり、その時ちょうどお金もなく、シガラジャへ帰れなかったA奥さんとその子供はヌサドゥアのバンジャールの力を借りて、ヌサドゥアのプラ・ダレムに土葬した。
その後A奥様も亡くなり、同様にヌサドゥアに土葬。
ここで問題が・・・
A夫妻の子供は娘一人だったのだ。
女の子は結婚したら夫のバンジャールに入るので、ヌサドゥアのバンジャールにいるうちにバンジャールの協力の下ご両親のNgabenを行わなければならなくなる。
これでは結婚がいつになるか分からない。
仮に先に結婚してその後Ngabenの目処がたったとしても、別バンジャールに入っている為、夫の許可を得てヌサドゥアのバンジャールに連絡し、ご遺体を掘り起こし、Ngabenの儀式を行い、更にその魂をシガラジャへ運ばなければならない。
そうしなければ、ご両親の魂は天界へと行くことが出来ず、その後輪廻転生してこの世に戻ってくることが出来ないのだ。
これはかなりハードルが高い。

これがバンジャール・アダットを絶対に2つに分けてはならない理由だ。
まさか、こんな理由が根底に隠れていたとは・・・


今回の例えはかなりレアなケースだとは思うが、ありえないことではない。
(まぁ、バリ人がバンジャール・アダットを移そうと考ることはまずないが。)
もしバンジャール・アダットをシガラジャのみとしていた場合は、Aさんが亡くなった時に何をどうしてでもシガラジャのプラ・ダレムまでご遺体を運ばなければならないので、その後Ngabenのお願いもしやすい。(シガラジャにはまだまだ親戚が沢山いるから。)

そして、バリ人が絶対に男の子を生まなければならない理由でもある。
(女の子は別のバンジャールに嫁いでしまうからね。)

バリはこの辺が本当にややこしい。


ちなみに、最近はどうしてもご遺体を田舎へ運べない場合は、Kremasiと呼ばれるところで一旦灰にまですることが出来る。
このクラマシとは日本の火葬場のようなものだ。
バンジャールの人の手を借りることなく、一連の流れをとり行うことができる。


プラ・ダレム繋がりでバンジャール、Ngabenの話となったが、話をお寺に戻すと、この数あるお寺の形態もまた少々ややこしい。

それは、プラ・デサ、プラ・プセーがプラ・ウムンの中にあることもあるのだ。


我が家から程近いところに、一つの寺院がある。
私はその寺院をずっとシダカルヤ村のプラ・デサだと思っていた。
ある時夫にその話をすると、夫はそのお寺はプラ・デサではなくプラ・ウムンであるPura Mutering Jagatだという。
お互いに意見を譲らなかったのだけど、確認しに行ってみると、そのお寺はムテリン・ジャガット寺院であると共に、シダカルヤ村のプラ・デサ、プラ・プセーでもあった。

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こんなパターンもあるとは・・・

ちなみにこのムテリン・ジャガット寺院は、バリの中心にあり「バリのへそ」とも呼ばれる寺院(全然有名じゃないけど)。
この寺院内には、各有名プラ・ウムン(ベサキとかバトゥール、タナロット等)のPelinggihと呼ばれる祠?があり、その寺院まで行かなくてもその寺院に対してお祈りが出来るという大変便利なお寺である。


なので、私は先に出てきたタマンプレ寺院もこの形態ではないかと思っている。
タマンプレ寺院はプラ・カウィタンでもあるが、マス村のプラ・デサ、プラ・プセーでもある総合寺院なのではないかと。
そうであれば、オダランの際のあの大賑わいも納得が出来る。
(寺院の横の広場ではオダランに合わせてもの凄い規模の屋台?のようなものが立ち並び、寺院で行われる奉納芸能もかなり大掛かりなので。)
マス村のみな様、どうでしょう?


私は、この寺院でオダランの際に行われる奉納舞踊ワヤン・ウォンが観たくてたまらないのだが、未だに観れずにいる・・・

その時のお話はこちら

※あと、前回書くのを忘れたが、奉納芸能はどこの寺院であっても参加可能。
(プラ・カウィタンとか関係なし)
踊り子やガムラン演奏者はガムラン楽器と同じ扱いで、どこにも属さず、
「今度うちでオダランがあるんだけど、ガムラン貸して?」
「OK」
といった感じで演奏者も付いてくる。



寺院に関しては、この他にもPura swaginaと呼ばれる寺院があるのだが、もうお腹一杯なので簡単に。
このプラ・スワギナは、簡単に言えば職業が同じ人達向けのお寺。
農家の人、とか、漁師さん、とか。
豊作や大漁をこの寺院でお祈りする。
以上。


とにかくバリでは、自分達にかかわりのある寺院が山のようにあり訳が分からなくなってくるのだが、当然ながらかかわりのある寺院のオダラン(寺院創設祭)には参加しなければならない。
我が家を例に取ると、まずプラ・プダルマン、そしてプラ・カウィタン、シガラジャのサンガ・グデ、プラ・デサ、プラ・プセー、プラ・ダレム、シダカルヤの家のサンガ、となり、これらの寺院のオダランが210日に1回巡ってくる。
1年ちょっとで14回。
更に、バリでの祭日のガルンガン、クニンガン等のお祝い、個々の儀式などが入ってくるため、バリではもう本当に儀式続きなのだ。

バリ人として生きるのは大変だなぁ~(ひとごと)。




*******




これが、タマンプレへの参拝をきっかけに私が夫に疑問をぶつけた結果となります。
こんなにだらだらした文章をここまで読んで頂きありがとうございます。
特に、プラ・ダレムからバンジャール→Ngabennのくだりが長すぎるのですが、バリ人の考え方を知る為にはどうしても外せませんでした。

今回のこの事件!?は、バリに嫁いだくせにのほほんと暮らしていた私に、「こいつ何も分かってないわ~」とご先祖様があきれて、分からせる為の機会を与えてくれたのだと思うことにしています。

また、バリ人的考えを待ったく持っていないと思っていた我が夫が、実はこんなバリバリした考えを持っているのだと気付かされるいいきっかけにもなりました。


ちなみに、私の執拗なまでの質問攻めに辟易した夫が、先日こんな冊子を作ってくれました。

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バリの寺院、バリヒンドゥー、我が家のプラ・カウィタンについてを印刷した冊子で、全部で3冊です。
中身は全部インドネシア語なので、またもや夫に丸投予定。
これで、遠慮なくこれからも質問攻めに出来ます(笑)
(お互い勉強になるからいいよね?)


また、何か寺院についての疑問が出て来た時は、またみなさんにもお伝えしますね~
(って、もういらない?)





今日の練習曲【Lagu Pedanda&Lagu Sangut】@Denpasar

2016年 03月19日 15:37 (土)


先週はニュピがあり、更にラディタ先生はカリマンタンにガムランの演奏旅行に行っていた為、稽古はお休み。
なので、2週間ぶりのデンパサール稽古。


まずは前回のおさらいRebong Kayumas。
家でしっかりと覚えてきたつもりだったけど、こうして人と合わせてみるとやっぱり超Memadu(ぶつかり合う)。
しかも似ているようで微妙に違うフレーズが繰り返されるので、今一体どこを弾いているのだか分からなくなり、間違ってばかり。
レボン悪戦苦闘・・・


「今回のワヤンはレボン使うかな?」
と聞いてみても、

「さぁ?使うにしろ、使わないにしろ、絶対に出来なきゃいけない曲。」
と。

今回は前回みたいに前もって使う曲を教えて貰えないかも・・・
(本来のワヤン演奏とはそんなもんなんですけどね・・・)

となると最近めっきり練習していない、悲しみの曲MesemやBendu Semaraもかなりやぱい!!
と、一人で焦る。


残り練習日、3日くらい?
取りあえず先に進む為に、次の曲を習う。

と言っても、簡単なフレーズのみ。

まずは、Lagu Pedanda。
(プダンダとはお坊さんのこと)

ワヤンには時折お坊さんが登場する。
めったに登場することはなく、恐らく今回も使われないとは思うんだけど、知っておいて損はない。
お坊さんはバリのお坊さんとは違う格好で、頭にターバンを巻いているワヤン。
確か、以前に観たクシマン王宮でのワヤンマラムで見かけないターバンを巻いたワヤンが出てきたなぁ、と思っていたけど、どうやらそれがお坊さんワヤンだったみたい。

ゆーったりとしたアンカタンの曲。
これが基本のフレーズで、話の流れによっては、このお坊さんが突然悪者に変身したりして、激しいアンカタンへとつなげたりするらしい。


お坊さんの曲OK。


次は、Lagu Sangut。
サングットは悪側のプナサル(従者)デレムの弟。
この曲もめったに使われることはないらしいけど、知っているに越したことはない。

デレムの性格は、こそこそ悪口を言って場を混乱させたり大騒ぎしたりするのが好きなのに対して、サングットはどちらかと言うとどっちつかずの性格らしい。
善と悪、どちらに対してもおべっかというか都合のいいようなことを言って場を混乱させ、その様子を歌を歌いながら見ているといった感じ。

なので、サングットはこの曲に合わせて唄う。
メロディーはゆったりで、どこか悲壮感漂う感じ。

ちなみに、バリではどちら側にも都合のいいことを言う八方美人というかイソップ童話のこうもりの様な人のことを、このサングットにちなんでNyangut(ニャングット)というらしい。
(SがNyに変形)


続いて、デレムの別バージョンの曲。
以前に習ったデレムの曲は基本バージョンで、こちらは出てきたとたんに大騒ぎしているデレムバージョン。

その時の場面、場面に合わせて曲をとっさに使い分けていかなければならない。


で、ずーっと気になってたことを聞いてみる。

「オープニングは何の曲を使う?」

これはかなり重要。
前回のワヤンルマの演奏では、このオープニング曲を弾いている間、それまでずっと演奏していた他のガムランチームは演奏を一切止め、グンデルの音だけが鳴り響いていた。
なので、早めに決めておいてその為の練習がしたかった。

「うーん、デンパサールではSekar Gendotが多いけど、前回もそれだったしなぁ。」
「スカワティで行く?」

となると、SulendroかSekar Sungsang辺りだが、Sulendroはちょっと自信がなかったのでSekar Sungsangでお願いする。

Sekar Sungsangは、以前は最も苦手とする曲だった。(というか、一度もまともに弾けたことがなかった)
スカワティでの練習が始まりサルゴ先生のスパルタ稽古によって、今ではSekar Sungsangは最も好きな曲の一つになっている。
なぜなら最もGelombang(強弱の波)が出しやすいから。


久々にラディタ先生と合わせるSekar Sungsang。

演奏後、
「叩き方変わったね。スカワティの叩き方だ。」
とラディタ先生。

ラディタ先生にそんなことを言われると、ちょっと複雑な気持ちになるのだけど、

「それでいい。この曲はスカワティの曲なんだから。」

と言われ、このまま突き通すことにした。
(スカワティとデンパサールで同じ曲をそれぞれのスタイルで叩き分ける技量は私にはない。)

それから久しぶりにPemungkahから通す。
よし、これでもうワヤン関係の曲は追加ないはず・・・!!
と思っていたら、PemungkahからPengrumrumへ入るつなぎ目に知らないフレーズを叩き始めるラディタ先生。

「え?これまだ教えてなかった?ごめん、ごめん。カユマスでは使わないけど、クンバン・ワルで時々使うかな。」

来週教えてください


その後は、カヨナンの時はこう、Alas Arumの1章と2章の回数などこまかい打ち合わせ。


ワヤンの演奏は来週。
それまでに稽古が出来るのはあと1、2回。
いよいよだと気持ちが高まってくる。



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今日の練習曲【Sekar Maduつづき】@Sukawati

2016年 03月17日 17:02 (木)

「よーし!!ちゃんと覚えてきたな!!」

とSekar Maduの最も難解なフレーズを無事に何とか弾ききった際のサルゴ先生の言葉。
ご満悦のご様子。


サルゴ先生のこの顔が見たくて、1週間頑張ったかいがあったよ!!



それにしてもSekar Maduは本当に手ごわい曲だった・・・
(まだGetしていないけど。)

1ヶ所、本当に難しいフレーズがあって、まずはメロディーを覚える為に片手でひたすらこの部分だけを叩いて、あっという間に2~3時間が経っているといった具合。

次に左手を合わせて、また2~3時間・・・
おかげでこの2~3日は、毎日欠かさず練習していたワヤンの通し練習が全然出来なかった・・・(Pemungkah~Sudamalaまで)

でも、この曲、一人練習の時に覚えれるだけ覚えないと、次の稽古の時にとんでもないことになるな、という予感があったので、もう必死。
(私が出来なさ過ぎて、サルゴ先生は絶対教えるのを放棄すると思った。)

案の定、録画させて貰ったのが全てではなく、最後のフレーズがまだ残っていて、これをサルゴ先生と練習したのだが、あまりにも出来なさ過ぎて「いい加減にしろ」状態のサルゴ先生。

あぁ、凹む


本当に何なんだ、この曲は・・・


覚えにくい曲としては、この他にカユマスのKatak Ngonkekがあるが、このSekar Maduはそれ以上。
こんなにゆったりとした美しい曲なのに。
こんなにも美しく難解な曲を作ったのは、一体どのような人物だったのだろうか・・・
なんて、しばし妄想。


この曲を作った人は実にセンスがある。


「私、てっきりSekar Maduは簡単な曲かと思っていました。」

「ははは、Sekar Maduはスカワティで最も難しい曲だー!!」
とサルゴ先生。

どうやら習う順番を間違えたみたい。

それでも、何となく弾けてくると、その美しい旋律にうっとりする。
途中、サルゴ先生がサンシを合わせ始めると、この曲は本当に天国にいるような錯覚を起こすくらい美しい。




美しい花には棘があるってのはこのことか。




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バリのお寺について ~その1~

2016年 03月15日 16:44 (火)


※随分前のPura Taman PuleでのNgayahの続きです。
その時の記事↓
グンデル漬けなマニスクニンガン(今日の練習@Sukawati+Upacaraでの演奏 ~Part16~+ラディタ先生のOtonan編)

注意:かなり長くなります。お時間ない方は読み飛ばしてくださいね。



******



日曜日の稽古の当日に、その日のお昼からマス村のPura Taman Puleというお寺でNgayahがあると言われ、慌てて準備をしに帰ったときのこと。
この日はマニスクニンガンだったので、Ngayahついでに家族も誘ってお寺でスンバヤン(お祈り)をすればいいや、何て軽い考えでいた私。

家に着いて早々、夫が

「Pura Taman Puleでスンバヤンするなんて本気で言ってるの!?」
と険しい表情で言ってきた。

「え?何で?オダランやってるみたいだし、マニスクニンガンだし、丁度いいよね。」
なんてのんびりと答えたら、

「タマンプレ寺院はPura Kawitanだよ。」
と言われた。

プラ・カウィタンとは、先祖代々のお寺ということだ。
そういえば前回Nさんと一緒にタマンプレ寺院にお祈りにいった時も、周りのバリ人とプラ・カウィタンの話しになったけ?

「そうなんだ、凄い人が参拝するお寺だからてっきりPura Umun(一般の寺院)かと思ってたよ。でも、スンバヤンするには別に問題ないよね?」
なんて、まだ夫の言わんとすることがいまいち分かっていなかった私。

「大問題だよ。Pura Kawitanなんだから・・・」

やっぱりいまいち何が問題なのか分からない。
先祖代々のお寺なのは分かる。
きっとご先祖様に対してお祈りする人々が多く参拝するのだろう。
でも、お寺はお寺なんだし、神様に対してお祈りするのはヒンドゥー教徒であればなんら問題はないのではないだろうか?
全てのお寺に神様がいるっていう話だし。

というようなことを夫に言うと、

「そういうと思った。だから帰ってくるまでにタマンプレ寺院について調べてみたよ。タマンプレ寺院は僕らのご先祖様のお母さんのお寺だった。」
「だから、今回はまぁスンバヤンしても問題はないだろう。」
「これが全く自分達に関係のないPura Kawitanだったら、喧嘩してでもスンバヤンに行かないつもりだった。」
とのことだった。


えぇー!?そんなに大げさなこと??

なんて思いつつも、時間がなかったので慌てて準備して出かける。
なぜ夫があんなにも今回の寺院参拝に難色を示すのか全く腑に落ちなかったので、道中ずっと問い詰める。



そもそも、先祖代々のお寺と言われるPura Kawitanとは何なのか。

時はジャワからヒンドゥー文化が持ち込まれた時にさかのぼる。
その昔、ジャワで繁栄していたヒンドゥー教のマジャパヒット王国が崩壊し、多くの人々がバリ島へと逃げ込んできた。
現在、ほとんどのバリ人の祖先は、この時に逃げ込んできたジャワ人だといわれている。
(もともとバリにいた先住民は、バリアガと呼ばれる村に暮らしている。)
その時の王は、クルンクンにゲルゲル王朝というものを作り、バリ全土を統一しようとした。
一斉に移住してきたジャワの人々に、王は領地を振り分け、各領地を統制していたリーダー的存在の人が、自分達の領地にヒンドゥー寺院を建設した。
それがプラ・カウィタンである。

更に、先祖代々の寺院として、Pura Pedarmanという寺院がある。
これはいくつかのプラ・カウィタンを血縁にそってまとめたものである。
場所はブサキ寺院。
8世紀に東ジャワ出身の高僧、ルシ・マルカンディアがパンチャ・ダトゥという5つの金属(金、銀、銅、錫、鉄)を埋めてブサキ寺院を建てたのは有名な話だが、このブサキ寺院の周辺にある氏寺がプラ・プダルマンである。
(ブサキ寺院はいくつもの寺院が集まっている総合寺院である。ブサキ寺院に参拝する場合は、必ずプラ・プダルマン→本堂のあるプナタラン・アグン・ブサキ寺院の順となる。)
文章で説明してもちょっと分かりにくいので、こちらの写真を見ながら説明すると・・・


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こちらが、我が家のプラ・プダルマンの入り口にある立て札。
ARYA KANURHANというのは人の名前。
ジャワから来た我が家のご先祖様の大元。
この方は、遠いご先祖様といった感じ。
(ARYA KANURHANさんは寺院は建設していない。)
その下に、BRANG SINGA、TANGKAS、PEGATEPANとあるが、こちらがプラ・カウィタンの名前。
ARYA BRANG SINGAさんと、ARYA TANGKASさんと、ARYA PEGATERANさんがそれぞれ、PURA BRANG SINGA、PURA TANGKAS、PURA PEGATEPANという名前のプラ・カウィタンを作った。
バリ全土でかなり多くのプラ・カウィタンが作られたので、それを系統ごとにまとめたのがプラ・プダルマンとなる。
なので、ブサキ寺院のオダランの際にこのプラ・プダルマンでお祈りをする人々は、全て同じご先祖様を崇める血縁者、更にプラ・カウィタンのオダランで集まった人々はもっと近い血縁者となる。
我が家のプラ・カウィタンはクルンクンにあるPURA TANGKASなのだが、その時のオダランの様子はこちら。

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その後、我が家のご先祖様は、プラ・タンカスのあったクルンクンからシガラジャへと移住する。
先の大戦の時代だ。(夫の祖父の時)
何故ならGUSTI狩りが行われた為。
我が家は、本来は階級的には軍人階級で、GUSTIという名前がつくらしいのだが、この戦争の時にGUSTI狩りが行われたため、GUSTI名を捨てシガラジャへと移り、軍とはなんら関係ないそぶりをして難を逃れた。
(バリには戦時中にリーダーとして戦ったI GUSTI NGURAH RAIという英雄がおり、GUSTI名は軍人の代表の為、敵に狙われた。)
なので、我が家は現在GUSTI名を使っていない。

その後、シガラジャへ移り住んだご先祖様は、Sanggah Gede(家寺の集合体)を作り、シガラジャの地に定住した。

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こちらがSanggah Gede。
この写真は娘の3ヶ月のお祝いTiga Bulananの時のもの。
家族が増えた時は、必ずこのSanggah Gedeに報告をしなければならない。
(私が結婚した時もここに来て報告をした。)


※話は少しそれるが、このバリ人特有の名づけ方(Ida Bagus、Anak Agung、GustiやWayan、Made、Nyoman、Ketutなど等)はそんなに昔からの伝統ではない。使われ始めた時代ははっきりとは分かっていないが、ジャワからヒンドゥー教と共に移住してきた人々はもちろんジャワの名前を使っていたし、(上であるArya Knurhanさんとか)バリアガの人々も別の名前を使っていた。この階級や生まれた順によって特定の名前をつけるように推奨されるようになったのは、オランダ軍によるバリの植民地化が進んだ頃から。なぜなら、管理がしやすいから。当時のオランダ軍は、王家の人々を優先しており、学校へ通えたのは王族のみ。あの家は政治に関わりがあるとか、あの家は僧侶の家だとか、兄弟が何人いるとか、一発で分かるこの名前制度は大層便利だったのだろう。その伝統が今でも続いている。が、決して強制的なものではない。



で、何となく先祖代々の寺、プラ・カウィタンについて分かったのだが、同じヒンドゥー教徒が神様に対してお祈りするに当たって寺院の種類がそんなに重要なのだろうか?
日本にも仏教徒の場合、菩提寺という先祖を奉った寺院があると思うが、たとえ自分の先祖が奉られていないお寺であっても参拝をしたいとなれば、「どうぞ」となるような気がする。

そこが今回、最も理解が難しかったのだけど、要は他のご先祖様がいる寺院でお祈りをすると、

自分達のご先祖様が嫉妬をする!!!
らしい。


えーーーーーー
そんな理由!?



「神様とかご先祖様ってそんな細かいこと気にしないんじゃないの?」

夫「いや、神様とご先祖様は全然違う。神様は全てを受け入れてくれる。でもご先祖様は聖なる存在ではあるけど、元はといえば人間。喜びもすれば、怒りもするし、嫉妬だってする。人間と同じ感情を持っていると考えた方がいい。」
「私たち人間にも、おおらかな人もいれば、几帳面な人もいる。自分達のご先祖様がどんな性格だったかは私たちには分からない。自分の子孫が他の先祖に対してお祈りすれば、嫌な気持ちになる先祖もいる。」
「だから、よそのプラ・カウィタンでお祈りをするというのは、あまり考えられない。」

「でも、別にその寺院のご先祖様にお祈りするわけじゃないよ?言い方は悪いけど、場所を借りて神様そのものにお祈りをする場合でもダメなの?全ての寺院に神様はいるんでしょ?」

夫「それは少し違う。」


確かに全ての寺院に神様は存在する。
でもその割合(というのかな?)がそれぞれの寺院で違うのだそうだ。

プラ・カウィタンは先祖代々の寺院だが、バリにはもちろん多くの一般の寺院がある。
それらはPura Umunと呼ばれる。
プラ・ウムンは観光客の人もよく見学する寺院で、有名どころはベサキ寺院、バトゥール寺院、タナロット寺院、タマンアユン寺院、ウルワツ寺院、といったところ。
その他、山のようにある。
最も神様の存在が強く感じられるのがベサキ寺院、バトゥール寺院。

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こちら以前オダランの時に行った際のブサキ寺院、バトゥール寺院。


夫曰く、神様の姿を目を凝らして見ようとすると、もの凄く眩しく光り輝いており、実態は目に見えないらしい。
この2大寺院では、この神様の光が最も大きいんだとか。
正に神様の存在そのもの、といった寺院。


その他の寺院では・・・
もちろんどの寺院でも神様の光は感じるらしいけど、その光の大きさは寺院によって違うんだそう。
その代わり大きな割合を占めるのが、Betaraという存在。
ブタラとは、その寺院にいる守護神のようなもの。
聖なる存在で、寺院そのものといってもいい存在。
どの寺院にも必ずいて、人間の様な姿をしており、割とはっきりと見えるらしい。
(見える人には。大きさはそれぞれ違う。)

寺院でお祈りをする場合は、神様へお祈りすると共に、このブタラへもお祈りすることになる。
ブタラには様々な特性があり、願いをかなえて貰う目的の為に寺院へ参拝することもある。

有名なのは、タナキラップ寺院。
ここにはビジネスの神様がいるといわれている為、商売繁盛の為に訪れる人が大勢いる。
ただ、こういった寺院で注意しなければならないことがある。
それは、この様に特別な力を持ったブタラは、結びつきを求めるということ。
願いが叶えられたら、その後常にその寺院へ通い続けなければならない。
その寺院のオダランの度に、満月の度に・・・
それが出来なければたちまちビジネスは衰退するだろう。


で、プラ・カウィタンにももちろんブタラはおり、当たり前だがその寺院を作ったご先祖様となる。
なので、寺院でお祈りをする場合は、神様にお祈りするだけではなく、そのブタラ=ご先祖さまにもお祈りすることになる。
これが他の寺院の場合は、自分達のご先祖様は嫉妬するんだとか。
「うちの寺院にお参りに来ずに、よその寺院に行くとは何事か」と。
で、その寺院のブタラにしても、「あなた私の子孫じゃないよね。誰?」となるらしい。

そんなもんなの・・・?

以前、夫がプダンダさん(高僧)から聞いた話によると、よそのプラ・カウィタンにお参りすることは決してダメなことではない。ただ、必ず自分達のプラ・カウィタンを第一に考え、尊重した上でお参りに行くこと、と言われたそうだ。

今回の場合、クニンガンの2週間前位にプラ・タンカスのオダランがあり、その時夫は参拝している為、ご先祖様に敬意は示している。更に、我が家のプラ・カウィタンを創立したご先祖様のお母さんがタマンプレ寺院の出身ということで、今回はご先祖様にもお許しを貰えるだろうとの判断で、OKが出たみたい。
(母方の親戚に挨拶に行くような感じ?)


まさかこんなごちゃごちゃしたことを夫が考えていたとは・・・


なので、神様に対してお祈りをしたいのであれば、プラ・ウムンへ行くのが正解。
デンパサールだと、バリ・ヒンドゥーの最高神であるSang Hyang Widih Wasaを奉っているPura Jagat Nathaへ行くのが無難、ということになる。
(Jatat Natha寺院は各県にある。)


ちなみに、プラ・カウィタンを持たない外国人はこれに当てはまらないので、どこのプラへお参りに行ってもOK。バリの人達が外国人を気軽に寺院へ誘えるのはこの為。
なので、バリ人がバリ人に対して、「今日、うちのプラでオダランがあるからみんなもおいでよ!!」と誘うことはぜーーーーーーったいにありえないということになる。
どうりで、結婚前は結構あったその手の誘いが、結婚した途端に一切なくなった訳だ。
(夫に遠慮しているだけかと思っていたら、こんな理由だったとは。)


と、以上の話を丸一日かけて聞いてもやっぱりいまいちしっくりこなかったんだけど、これは「寺院」という言葉に囚われているからかな、と思い、寺院ではなく「墓」だと考えることにした。
確かに、日本の我が家のお墓を全く見ず知らずのひとが一生懸命磨いていたり、お祈りをしていたりすると、「あの・・・どちら様でしょう・・・?」となる。
「今日はうちで法事があるので、みんなも来てね!」と友達を誘っても誰も来る訳がない。
その感覚と一緒なのかな?っと思うことでようやくしっくりきた気がする。


バリでは神様とご先祖様を最も大切にしていると以前から聞いてはいたが、こんな考え方が根付いているとは思いもよらなかった。



******



かなり長くなってしまいました。
自分の文章をまとめる能力のなさにです・・・
(でもどこをどうまとめてよいか分からない

この寺院話、まだちょっと続きます。
なので、ここで一旦切りますね。
もうちょっとお付き合い頂ければ嬉しいです。




~つづく~



今日の練習曲【Sekar Madu】@Sukawati

2016年 03月12日 16:25 (土)


※ニュピ前のことなので記事が前後します。


この日はニュピ(バリの正月)前のMelastiという儀式を行う日で、スカワティに向かう途中、多くのご神体やらバリ人やらバレガンジュールやらがトラックに乗って海へ向かう姿を見かける。
Melastiとは、ニュピ前にその地域のご神体や自らの身を海で清める儀式のことを言い、Pura Desaと呼ばれる村のお寺のご神体を持ってみんなで海へと向かって歩く。
海から遠い村だと、トラックで移動するところもあるのだけど、昔はみんな歩いていたんだとか。
炎天下の中、2時間も3時間も。
バリ人は本当に凄い。
ちなみに私はこのMelastiにまだ一度も参加したことがない。
(バンジャールがシガラジャで遠いからという理由で。)
正直、ちょっと助かった・・・なんて思っているのは内緒。


サルゴ宅では、女性達がニュピに向けてのお供え物作りで大忙し。
普段はサルゴ先生の奥様とお嫁さんが2人で作っているのだけど、この日は近所に住む親戚の女性達が集まって一斉に作っていた。

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ニュピ前日の夕方に行われるムチャルーの時に使うお供え物らしい。
「Lotusyaはバンタンが作れるのか!?なにー、バリに嫁いだくせに作れないだとー!?」
なんてからかわれながら練習開始。


まずはいつも通り、曲合わせ。
Rebong、Sekar Ginotan、Sekar Sungsang、Sulendro、Partha Wijaya、Kejojor、Crucuk Punyah・・・

「ここが1音足りん!」
とか、
「間違えた!最初からやり直し!!」
とか、ツッコミが入りまくり、
あぁ、今日もまた新しい曲へは入れないかな・・・
何て思っていたら、突如耳慣れぬフレーズを叩き始めたサルゴ先生。

きょとんとしていると、

「何をボーっとしている。Sekar Maduだ。これがやりたかったんだろ?」
と。

やったー
はい~そうなんです~。
その曲を習ってみたかったんです~


この曲は、趣味のYou Tubeでのグンデル曲探しをしている時に見つけたもの。
サルゴ先生とその仲間達(お弟子さん達ですね。)が寺院で演奏しているものだった。

「Sekar」とは「花」、「Madu」とは「はちみつ」という意味で、
直訳すると「はちみつの花」なのだが、ここはまぁ「甘い花」とでも訳しておこう。

名前の通り、凄く甘い旋律のきれいな曲で、正にウパチャラにぴったり。
いつか演奏してみたいなぁ~と思っており、以前から頼んでいた。


最初、「Sekar Maduを習いたい」と言ったとき、かなり渋い顔をされた。
「Sekar Maduか・・・Gerebegの方がいいんじゃないか?」
(Gerebegとはアンカタンの曲)
「Sekar Maduは難しいぞ。覚悟しとけ。」
なんて。

更に、「ラディタにはこの曲教えたかな?ちょっと電話してみろ。」
とラディタ先生に電話するよう指示。
結局、ラディタ先生はこの曲をサルゴ先生から習っていなかったらしく、うーん、と一人うなるサルゴ先生。
(ラディタが知っているならラディタから教えて貰えとでも言いたかったのだろうか?)

正直、聞いた感じSekar Maduがそんなに難しい曲とは思えなかった為、手ごろに新しい曲のレパートリーが増えたらいいな、位にしか考えていなかった。
サルゴ先生がこうも渋るのはいまひとつしっくりこなくて、まぁ、大げさに言っているだけだろうと。

で、実際習ってみたら・・・

あれ・・・?
これマジですか?

っていうくらい、大変な曲だと分かった。

Sekar Maduは、決して高速のコテカンがあるとか、技術的に難しいとかいう曲ではない。
むしろゆったりとしたメロディーの曲だ。
ただ、もの凄くややこしく、覚えにくい。

グンデルの曲は複雑そうに見えても、一定のパターンがあることが多い。
(ここは右手は常に右上がりに~、とか。)
その型さえつかめばそう覚えるのに苦労はしない。

でも、このSekar Maduという曲のある一部分のフレーズは、その型を大胆に崩してくる。
かろうじて型があるのだけれど、一瞬にして崩されるのだ。

これは・・・手ごわい。

サルゴ先生も、「もう頭が痛くなってきた。今日はここまでな。」と早々に教えるのを放棄。
(教える方は、もの凄くゆっくり途切れながら教えなければならないので、どこを叩いているのか分からなくなるのだ。)

「一通り弾いてみるから、さっさと録画しろ。」
と。
「この曲はみんなこうして覚えるんだ。カセットをひたすら聴いてメロディーを覚えて。」
これはかなり珍しいこと。


うーん、Sekar Maduをかなり甘くみていた。
(いや、実際は甘い曲なんですけどね。って、しつこい?)
でもこれは、かなり嬉しい誤算。
難しい曲だと知ると、覚えがいがある。


「どうする?来週もこの曲を続けるか?」
「Gerebegに変えてももいいんだぞ?」

ううう・・・まだ言うか。

「ワシも若い頃、この曲はかなり手こずった。」
「もしLotusyaが1週間でこの曲を覚えてきたら、本物のOrang Pintar(賢い人)と認めてやろう。」


そんなこと言われたら・・・
益々やる気がわいてきたじゃないか~メラメラ



サルゴ先生は人のやる気を引き出すのが本当に上手い。





2016年ニュピの過ごし方

2016年 03月10日 11:43 (木)

昨日はバリのサカ歴に沿ったバリの新年、「Nyepi」でした。
ニュピは全ての活動禁止な日。
外出禁止、娯楽禁止、火の使用禁止(もちろん料理も)、電気等も使用禁止。
断食、瞑想を1日中かけて行う日とされています。
今年もこの不思議な新年、ニュピ前日から、ニュピ当日にかけての我が家の過ごし方をちょっとご紹介したいと思います。

※お察しの通り、私はこの記事をニュピ当日に書いていますが、その辺のことは軽くスルーしてください。



*******



今年はサカ歴の1938年にあたる。
まずはニュピ前日から。
この日は朝からニュピに向けてスンバヤン(お祈り)。
夕方に、ムチャルーと呼ばれる儀式?をする。
聖水を家の敷地内にまき、清め、竹筒をポクポク鳴らしながら敷地内にいる悪霊を追い出す。

この後はみんなが大好き、オゴオゴタイム。
(“プングルプッカン“と言うらしい。)
おどろおどろしい大きな山車のようなものがバリ中を練り歩く。


私の暮らすシダカルヤ村のオゴオゴ達。
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↑子供達の作ったミニオゴオゴもかなりの出来栄え!!


↓オゴオゴダンスもどうぞー。







こんなのがこの日バリ島内で5,000体近く練り歩いているんだというのだから、さぞかし空から見たらもの凄い光景なんだろうな。
先ほど追い出された悪霊たちはこのオゴオゴの中に入り込み、オゴオゴのパレードが終わったら燃やされる。



そして翌日の朝6時からニュピタイム開始~



朝起きたら、聞こえるのは鳥の声と犬の鳴き声のみ。
いつもなら聞こえるバイクや車の音は皆無。

久しぶりのゆったりとした朝の時間。


外は凄くいい天気。
今年はニュピの日にインドネシアで皆既日食が見られるということでかなり盛り上がっていた為、それ位の時間に外に出て太陽を見てみる。
専用のめがねなんかは用意していなかったので、サングラスをかけて太陽をチラ見したら速攻でムスカ状態になったので、すごすごと部屋へ戻る。
(それでも一瞬だけ太陽が半分にかけた様子が見れた。)

バリでは日食率は70%位とのことだったので、ピークの時間帯でもちょっと陰ってるかな?程度だった。
(ちなみに夫は日食に無関心で一歩も部屋から出てこなかった。)


後はもうなーんにもすることがないので、至福の読書タイム。
ここのところ仕事とガムランに明け暮れていたので、めっきり本を読む機会が減ってしまっていたのだけど、本来私は読書大好きっ子。

「ウブド本の交換会」で交換してきた本がずっと読めていなかったので、何の時間制限もなく本を読み続けるなんて久しぶりすぎて嬉しい・・・

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娘も一人で絵を描いて遊んでいるので、放置。
動かないとお腹もすかないので、お昼はりんごと買っておいたブラウニーひとかけらのみ。

あぁ、至福のひととき~

夕方までノンストップで本を読み続け、ちらりとメールチェック。
で、このブログを書き出す。


ニュピの夜ご飯は、うちはいつもカレーと決まっている。
前日に作っておいた残り。
(暖めるだけで済むからね。)
出来る限り火を使わないように。
日本に住んでいた時はさほど好きではなかったカレーだが、外国で暮らし始めるとその存在は非常に貴重なものとなる。
今年はとんかつも前日に作っておいたので、カツカレー
真っ暗な中、キャンドルライトで食べるのもなかなかいい。


そして・・・
今年も見れましたー

満点の星空

吸い込まれそう!!
ニュピは雨季に当たるので、曇っていたり雨が降ったりして見れないことが多いのだけど、去年に引き続き、今年も晴天。
1日不便な生活を頑張った(のんびりしてただけ)ご褒美~
(残念ながら私のカメラでは写真におさめることが出来ませんでした・・・



こうして我が家のニュピの夜は更けていったのでした。
本当、不思議な新年だな、ニュピ。
1年で一番好きな日だ。




今日の練習@プレゴンガン【Lengker】

2016年 03月07日 12:37 (月)

来週はニュピというバリヒンドゥーのお正月がある+ラディタ先生がカリマンタンに出張演奏の為まったく練習ができないので、今週もう一回練習をお願いしてみた。
気付いたらワヤンまであと2~3回しか練習が取れそうにない。
ダランさんとの合同稽古もまだだし、ちょっと追い込みかけなきゃ・・・
なんて思っていたら、

「プレゴンガンの舞台の日決まったよ。6月にププタン広場でね。」
と言われる。


は・・・?

・・・舞台!?



えー!!!まだ1曲もまともに弾けていないんですけど!?
Ngayahとかのウパチャラ演奏の経験もなしに、いきなり舞台!?

「大丈夫、まだ3ヶ月もあるし。」
なんてラディタ先生は余裕の表情だけど、これはあっという間に時が過ぎるパターン。
気付いたら舞台の日ということになりかねない。

なので、急遽グンデル練習からプレゴンガン練習へと切り替える。

Kさんも誘ってみたけど、都合がつかなかったのでラディタ先生と2人練習。
前回からちょっと時間が空いてしまったけど、Lengkerのメロディーは何とか覚えた。

「うん、メロディーはOKね。」
「じゃ、クンダンと合わせてテストしよう。」

と私一人がグンデルランバットを叩き、ラディタ先生のクンダンに合わせてみる。
自分の手元に集中してしまうと途端にクンダンのテンポが分からなくなる。
クンダンの音を聞きすぎると、メロディーを失ってしまう・・・

程よく全ての音が自然と耳に入ってくるように意識を拡散しなければならない。
これがことのほか難しい。

スピード調整については前回口頭で教えて貰っていたが、私にはそれがまだ身に付いていないのでラディタ先生から何度も指摘が入る。
特に、プガワッ(曲の前半)からプゲチェ(曲の後半)に入る部分。
ここはプガワッの最終でどんどんスピードを上げていき、プゲチェに入る瞬間やや落とし目で、徐々に上げていくとの説明なんだけど、何度やっても上手くいかない。
「速すぎる。」「今度は遅い。」「殆ど合ってるけど、微妙に違う。」
などと何度も何度もやり直す。
いくらやっても上手くいかず、甥っ子君を呼んで代わりに叩いて貰う。
(甥っ子君は一発合格)

「今の分かった?」
と聞かれるのだけど、甥っ子君の叩くテンポと、私の「殆ど合ってるけど、微妙に違う。」の違いが私には全く分からない。

あぁぁぁ・・・凹む・・・

「グンデルとは違うからね。バリガムランにまだ慣れていないからしょうがない。そのうち分かるようになるよ。」
とラディタ先生は言うけど、本当かな

主旋律のグンデルランバットのテンポが乱れていたらシャレにならないので、ちょっと不安。
あと3ヶ月で人前で演奏出来るくらいに仕上がるかなー。

メロディーは覚えたし、今日は新しい曲に進めるかな何て思っていたけど、甘かった。
メロディーより何より、今後の最重要課題はテンポだな。

まぁ、がんばろう。



******



~今日の楽器紹介~



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「クンダン」

両面太鼓のこと。
ガムランにおいては、このクンダンが曲のテンポを決定する為、グループのリーダー的存在なクンダン。
両手を大きく広げ叩くのだけど、ただ叩くだけではなく、「パカッ、パカッ」と歯切れの良い音が鳴るのが粋な叩き方。
大きさも色々あって、曲の種類によって使い分けるらしい。
(私はよく分からないけど。)
バロンダンスの曲なんかだと、手だけではなく、ばちを使って叩く為大迫力の音。
いつか習って見たいけど、当分先のことになりそうだな。




興味のある方はご連絡くださいね~
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Sanggar Kembang Waru

ガムラン部メンバー募集中

参加費無料。
年齢不問。経験不問。
初心者大歓迎。

住所:Jalan WR. Supratman No.102 Denpasar

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