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2016年を振り返って

2016年 12月30日 13:13 (金)


みなさん、今年ももうすぐ終わりますね。
は、早いー



今年初め、そういえば今年の目標を立てたことを思い出し、
ちょっと振り返ってみることに。

↓こちらが年始に立てた目標
~2016年の目標~

①ワヤンマラムでの完全演奏!!


→なんとかぎりぎり目標達成。
といってももちろんまだまだ納得のいくレベルではない。
(とくにAngkatan)
ただ参加したってだけ。
しかもなかなか機会がなく1回のみだったし。
こればかりは機会を待つしかないので、いつその機会が訪れても躊躇することのない様に、常に練習あるのみ。
(この前久しぶりにPemungkahから弾いてみたら、ところどころ抜けている音があって凹んだ・・・
次の目標は、サンシ制覇。
ワヤン演奏はこれから先、何年もかけて習得していく永遠の目標。


②グンデルワヤン以外のガムラン楽器が弾けるようになる!!

→これは、プレゴンガン練習が始まり、グンデル・ランバットのみは何とか。
といっても、グンデル・ワヤンを弾ける人はグンデル・ランバットは絶対弾けるので、次の目標は別の楽器だなー。
(なんとなくペログ音階には慣れてきた)
ガンサ、スリン、クンダンあたりを習っていきたいが、これらはプライベートレッスンでないと習得が難しいので、グンデル・ワヤンの修行がひと段落したら挑戦したい。


といったところ。


年が明けたらまた来年の目標を・・・
といいたいところだけど、今年は私生活の面でも転機を迎えそうなのであえて目標は立てず、


とにかく楽しくガムラン生活



ということで、今年もみなさん応援ありがとうございました。
よいお年をお過ごし下さい。


2016年12月30日  バリ島より  Lotusya


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覚悟

2015年 03月25日 16:53 (水)

4年前、バリ人の夫と結婚してわりと最初の頃、バリのお葬式に参加した。
亡くなったのは、夫のお父さんの従兄弟のお母さんで、私は一度もお会いしたことのない方。
日本だと随分遠い親戚なのでお葬式に参加することは珍しいかもしれないけれど、バリは違う。
絶対参加。
なぜなら同じSanggah(家寺)の人だから。
私も結婚の時に夫のSanggahに入っているので、その繋がりは絶対。

バリのお葬式はNgabenと呼ばれ、バリ人の人生の通過儀礼の中で最も大切なものなのだけど、Ngabenはもの凄くお金がかかるので、この時はNgaben前の儀式のみ。

色々衝撃的だった。
まずは、火葬場へ向かう前に家族みんな(親戚一同、男女全て)でご遺体を沐浴。(もちろん裸)
そして、ご遺体を焼く時はガスバーナーを使用、等。

でも参加してよかった。
私も死んだ後はこうなるんだ、っていう覚悟が出来たから。
まぁ、これは覚悟というか、心構えというか。
死んだ後のことなので、されるがままで本人の意思はあまり関係ないかもしれないけれど。
手厚く埋葬されることには間違いない、と思う。


まずこれが一つ目の覚悟。


そしてもう一つが、私は日本の家族の死に目には会えないかもしれない、という覚悟。
これは、海外で暮らしている人はみんな同じだろうし、自分で決めて外国暮らしをしているのだから仕方がない。
申し訳ないけど、仕方がないな、と思っていた。

そんな折、先月のことだけど、祖母が死んだと妹から連絡があった。
泣きながらそのことを伝えてくる妹に、最後は苦しまなかったことを確認して、連絡をくれたことに礼を言って電話を切った。
父からも母からも「葬式には参加出来ないのか」と連絡が来たが、「残念ながら出来ない」と返事をした。
実際、出来ない状況だった。
私の持っているインドネシアのビザはKITAPといって、インドネシア国外に出る時は出国許可証が必要。
申請には4日かかる。
知らせを受けたのは土曜日。
土日はイミグレーションは休みなので、月曜日に申請しても出来上がるのは木曜日。
お葬式は火曜日。
しかも、その時私は体調を崩していて、断食3日目でふらふら。
そんな中、飛行機のチケットを買いに行き、娘と二人分の冬支度をして、娘を連れて日本に帰るのは現実的ではなかった。

生前の祖母は、孫の私から見てもちょっと困った性格の持ち主だったのだけど、父方の祖母で生まれた時から一緒に暮らしていたし、幼い頃は家庭の事情で祖母に育てられた時期もある。
戦後を祖父と二人で乗り越えてきた祖母は、幼い頃から私に貯金することの大切さを説き続けてきて、その祖母の教えのおかげで、こうして今バリで生活出来ているというのもある。

誰が何と言おうと「私のおばあちゃん」だ。
お葬式に参加したかった。

祈りはどこからでも届くことは知っている。
でもやっぱり直接見送りたかった。

だらだらと書いているけど、つまりは何が言いたいかと言うと、


覚悟なんて全然出来ていなかった。


ここにこうして言い訳がましく罪悪感を持ちながら書いているのも、覚悟が出来ていなかった証拠。
きっとこれからも悩み、葛藤し、罪悪感に苛まれていくんだと思う。
それを受け入れていこう。


という訳で、明日より8日間、祖母の49日の法要に合わせて日本に帰ります。
約8ヶ月ぶり。
きっとまだちょっと寒いんだろうな。



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音楽の才能

2015年 03月14日 17:47 (土)

私に音楽の才能がないと悟ったのは13歳の時。
悟ったというか、気づいたというか。

それは、中学校での音楽の授業の時。
私の通う中学校では、音楽の時間に音楽室に移動した後、先生が来るまでは自由に楽器を弾いていてよかった。
主にみんなが集まるのはやっぱりピアノ。

私は4歳の時からピアノ教室に通っており、その時点ではもう9年間習っていたことになるのだけど、私が音楽室のピアノに触れることはなかった。
なぜなら、何も弾けないから。
9年間習っていたといっても、練習が大嫌いだった私はまともに練習するのは週に1回のみ。
(土曜のお稽古だったので、金曜日の夜に泣きながら1週間分の練習をしていた)
発表会の曲なんかは1度は暗譜するんだけど、終わったらすぐに忘れる始末。
なので、ピアノを習っていることは極力誰にも言わないようにしていたし、ピアノの側にも近づかないようにしていた。

そんな中、いつもひときわ楽しそうにピアノを弾いていたのはクラスメートのMちゃん。
本当に楽しそうで、ピアノが大好きなんだろうなぁ~って感じ。

ある日Mちゃんに聞いてみた。
「ピアノ上手だね。どれくらい習ってるの?」
するとMちゃん、
「習ったことないよー。親が弾いてるの真似してるだけ。ドラムは習ってるけどね。」
Mちゃんの家は音楽一家。
(お姉さんはのちにちょっと有名な歌手になった)
あ、音楽の才能があるってのはこういうことなんだ、ってその時思った。

で、私には音楽の才能はないということに気づいた、その後…
ピアノは結局そのまま高校を卒業するまで続けた。
練習スタイルも変わらず。
なので、今現在も何にも弾けないまま。
残ったのは、もっとちゃんと練習しておけばよかったなぁ、という後悔のみ。

その後はまったく音楽に触れることなく十数年が過ぎ、
今こうしてバリでまた音楽に関わっている。

バリでは、音楽や踊りといった芸能が宗教と密接に関わっていて、自然と生活の中でも芸能に触れる機会が多い。
そういった生活の中で、私はやっぱり自分を表現するのは音楽がしっくりくるかな、と思いガムランを習ってみようと決めた。
グンデルワヤンは1日でも練習しない日があると、その分だけ腕が後退すると言われているので、出来る限り毎日練習をするようにしている。
14年間習ったピアノで得た後悔が、毎日の練習の糧になってるというのもある。
あの時間は決して無駄なものではなかったのかな、と思いたい。

そして、音楽の才能はないにしても、努力である程度はカバー出来るのではないかとも思い始めている。
何より「好き」で「やりたい」と思う気持ちが大事なのかな、と。

グンデルワヤンを通して様々な人との出会いがあり、バリでの生活もさらに充実したものとなってきた。
日々、感謝。


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