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久しぶりのスカワティ

2018年 03月21日 13:37 (水)


次女を出産してから久々にスカワティに行った時のお話。
と言っても、もうかれこれ4~5ヶ月前のこと!?
相変わらずタイムラグが有りすぎなブログですみません



**********


「おいLotusya!もう聞いたか!?」
とサルゴ先生から久しぶりの電話。

うーん、聞いてないな、一体何の話だ??

なんて思っていると「最後の大仕事」だと言う。
これでピンときた。

「次男君のご結婚おめでとうございます!!」

「Ya,ya,ya」
と電話口で嬉しそうな声。
当たりだったようだ。

「もちろん来れるな!?」
「はいー、もちろん伺いますー。」

ってことで久しぶりのスカワティ。
この時次女は4~5ヶ月くらいで、哺乳瓶一切拒否で誰にも預けられなかったので一緒に連れて行くことに。
Kさんに運転をお願いして、ダラン修行中だったK.Kさんとともに朝からスカワティへ。

ウンダンガン(儀式への招待)久しぶりだなー、何て思いながらサルゴ亭へ入る。

会場はまだ少し準備が終わっていないようで、お客さんもまばら。
ご近所のイブイブが米や砂糖やらを持って挨拶に来ている。

その辺の椅子に腰掛けて、恒例のクバヤチェック。
最近の流行はこんななのか~、何て思いながら見ていると何だか違和感が・・・

ん・・・?
あれ・・・?
イブイブのカマンの巻きが何だか私と逆の様な・・・


!?!?!?!?


カマンの掛け合わせ反対に巻いてるー←もちろん私が

※着物の掛け合わせが逆の様なものです。


えらいこっちゃ
どうしようー


と焦ったが、巻きなおすしかないので、Kさんに赤子を預け「ちょっとお手洗いへ~、オホホホ・・・」何て言いながら慌ててトイレでカマンを巻きなおす。


ふー、ぎりセーフ
ってことにしておいてください。


あー、焦った。
バリ嫁暦7年目でこれ
しばらくクバヤ着ていなかったからなぁ(言い訳)
もっと言い訳すると、この日のカマンは1枚布ではなくて、輪っかに縫ってあるやつだったからなぁ。いつもと感覚が違うからー。(言い訳になっていない)
大勢の人の目にさらす前でよかった。


一仕事?を終えくつろいでいるとどんどん招待客がやってくる。
知った顔のプナブ(グンデル弾き)もどんどんやってきて、グンデルが置いてある部屋の前はプナブでぎっしり。
そろそろ儀式開始か、ってことでどんどんグンデルの演奏が始まる。

DSC04242.jpg

DSC04250.jpg


プナブはもちろん強豪ぞろい。
久しぶりに聞くスカワティスタイルの素晴らしい演奏に心酔いしれる~。

あまりにもプナブが多いので、「一人2曲までな!」なんてルールが出来ているらしく、どんどん交代で演奏される。
私がしばらくスカワティに来ていないうちに流行の曲が変わったらしく、カランガッサムのMacam ngeremという初めて聞く曲も披露された。
Macam=虎 
と言うだけあって、迫力のある雄雄しい曲。
独特な左手のさばきがカランガッサムらしいなぁ。
今度教わりに来なきゃ。

途中、「Lotusyaも弾いて行け」とサルゴ先生から声がかかり、次女を抱っこしてもらったりもしたのだが、3時間近く次女を抱っこし続けていた為腕が既にジンジン・・・
手がしびれてパングルが上手く握れそうにもなかったので辞退。
まぁ、仕方ないな。
またそのうち。


これでサルゴ先生の大仕事も終了、かな。
K君、末永くお幸せに~

PicsArt03.jpg



**************



つい先日、バリの新年ニュピも終わりホッと一息・・・
つく暇もなく今日はパゲルウェシ。
来週はトゥンペック・ランデップ(鉄の日)とお祈りに大忙しのバリ島。
ちなみに今年のニュピはサラスワティが重なっていた為、本を読むのも禁止。
ネットも遮断されるという徹底ぶりでのんびり瞑想して過ごせましたー(してません)
夜は満点の星空。
1年で一番好きな日。
新年明けて、今年一年も穏やかに過ごせますように。




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バリに戻りました!

2018年 01月17日 17:22 (水)


驚くほどの雪にまみれながら、つい3日前くらいにバリに戻りました。
時差1時間、寒暖差30度くらい?
体が追いつきません

本当は年始の挨拶なんかをしたかったのですが、
バリに戻るまで気持ち的に落ち着かず・・・

私達がバリに戻るまで本当にアグン山は落ち着いていてくれるか・・・
なんて思っていたら、戻る2日前に再度小噴火のお知らせ。
万が一空港が閉鎖されてお隣のスラバヤ空港にでも降り立った日には、
子供ふたり抱えて山ほど荷物持って、バスで20時間くらい・・・?
なんてぐるぐる考えてしまい・・・

結局、空港は閉鎖されることなく無事ングラライ空港に到着しました。

色々な神様達ありがとう~



で、バリに戻ったら絶賛雨季な訳でして、
家の掃除にてんてこまい
部屋とお風呂場の掃除は先に戻った夫が頑張っていてくれてたのですが、
台所はほぼ全滅。
食器全部洗いなおして、赤ちゃんグッズは熱湯消毒して、
山ほど買い込んだ日本の食糧品を入れるために冷蔵庫の掃除して、
離乳食の仕込みして・・・
なんてことをしていたら、あっという間に年始のあいさつが出来る期限が過ぎていましたー。
(確か15日まで・・・?)


なので、ちょっと小さめに、


あけましておめでとうございます。
みなさま、今年もよろしくお願いします。



で、やっぱり気になるところはグンデルの具合。
今回の帰国ではパングルを持って帰らなかったので、
一体どれほど腕が衰えていることやら・・・

久々のグンデルはやっぱり驚くほど音がひびき・・・
最初はぎこちなくさぐりさぐり。
数曲ひいたらちょっと戻ってきた、かな?

この1年でかなりの曲を忘れてしまったので、
今年はそれらを思い出すことに集中。
幸いにもすべての曲を録画しているので、
動画をみながら少しずつ曲を思い出すことが出来る。
あせらずゆっくりと。

大体思い出したら、また以前のように先生方に教えてもらいにいこう。


で、やっぱりバリはいいなぁと改めて実感。
何がいいかって、緑が、目に。
冗談ではなくて割りと本気で。

実は今回の日本滞在中に驚くほど視力が急激に落ちてしまい・・・
産後は視力が落ちるものだと聞いてはいたけど、
ここまであからさまに落ちると流石にあせる

私の目はバリへ移住前にレーシックを受けており、
あの手術をもう一度するのは色々無理なので、
出来る限り食い止めようとあわてて目薬をさしてみたり、
ブルーライトカットレンズを買ってみたり、
かすみ目に効くというアリ○ミンEXを飲んでみたり・・・
と頑張ってみたけど、どれもいまいち効果なし。

もう目だけバリに帰りたい病。

んで、雨季のバリは素晴らしい。
圧倒的に緑。
街中のデンパサールですら緑々しい。
なんなら我が家の小さな庭ですら、もう。

もはやバリでしか生きていけない体だと体感。


これからもよろしくお願いします。



Screenshot_2018-01-17-16-12-39_1[1]

3 Bulananこぼれ話

2017年 10月11日 13:34 (水)


3 Bulananの前日、準備の為に親戚が集まっていた時のお話。


会場の準備も終わり、後は当日の朝にバンタン(お供え物)を運ぶのみとなってみんなでまったりしていると、おば様方が「あーでもない、こーでもない」と何やらワイワイしていた。
何かと思って聞いてみると、儀式当日の赤ちゃんに着せるクバヤの色の話らしい。

私はまぁ、無難に白でいいんじゃないかなー、何て思って準備していたのだが、赤ちゃん本人の意向を必ず聞かなければならないのだという。

赤ちゃんの意向=赤ちゃんに生まれ変わったご先祖さまの意向

なわけで・・・
つまりはあれである。
バリアン(呪術師)のところへ行ってということ。

以前も書いたが、バリでは輪廻転生が100%信じられており、
赤ちゃんが生まれたら必ずバリアンのところへ行って誰の生まれ変わりなのかを確認することになっている。

以前のお話↓
「輪廻転生」


で、この確認なのだが、どうやら1ヶ月の儀式と3ヶ月の儀式の間に行かなければならないらしく、この確認の時に3 Bulananの時の本人の希望も確認するのだとか。
(クバヤは何色だとか、バビグリンの有無とか、その他の希望いろいろ・・・)


で、なぜ次女のバリアン確認を直前まで行っていなかったというと・・・


ただ単に忘れていただけー


いや、私は覚えていたよ?
何度も夫に「いつ聞きに行くの?」って聞いてたよ?
で、「いつだろうね~」って、人事のように流されてたよ・・・
で、直前になってこの慌てよう。

まぁ、それはいい。
だったら今すぐ聞きに行ったら?って思ったのだけど、この日はバリの暦でPasahという日で、まぁ日本でいうところの仏滅のような日だったので、バリヒンドゥーに関することは一切禁止。
もちろんバリアンのところへお伺いにいくのも禁止。

なわけで、仕方なく当日の朝に親戚のおばさんがバリアンのところへ行ってくれることに。


以下はおばさんから聞いた話。


バリアンに生まれ変わりを確認する時は、基本的には名前と生年月日を伝えるのみ。
おばさんがそれを伝えると、

「タンカスの子か・・・」
と一言。

タンカスとは、夫の家寺のクルンクンにあるタンカス・コリ・アグンのこと。
私なんかはこういった力を発揮されると未だにちょっとぞくっとしてしまうのだが、バリ人にしてみれば、「バリアンさんは何で分かるんだろうねー?凄いねぇ」ってごくごく普通の感覚。

その後バリアンは生まれ変わった人の特徴(ここにほくろがある、とか背が高いとか低いとか)を伝え、「あぁ、○○おじいちゃん!」とか「○○おじさんだ!」とかになるらしいのだが、次女の生まれ変わりは○○おじいちゃんといったようなレベルではなく古い方らしい。

その人は男性。
素直な人で、つつましい暮らしを送っていたそうだ。

3 Bulananの希望を聞くと、なーんでもいいと。
クバヤの色もバンタンの豪華さも、儀式の場所だってシガラジャでもデンパサールでもどこでもいいと。

その人の希望は、こういったもの。

・自分はタンカスの人間。シガラジャのムラジャン(小さい家寺)に報告に行く前に、クルンクンのプラ・カウィタン(先祖の家寺)に報告に行って欲しい。


通常我が家では、子供が生まれるとシガラジャにある家寺に報告に行くのだが、

こちら↓
FB_IMG_1507695413197[1]

ではなく、クルンクンの

こちら↓
FB_IMG_1507695394728[1]

へまず行って欲しいと。


もう一つは、

・名前に「タンカス」を入れて欲しい。

とのこと。
この時点で既に出生届を出してしまっていたので、事実上名前を変更するには裁判所へ行く必要があるので、お寺への報告時にタンカスを入れた名前での報告とすることに。

ちなみに、次女の名前は・・・

Ni Kadek ○○(日本の名前)Arya Savitri

なのだが、AryaとSavitriの間にTangkasを入れることになった。
な、ながい・・・


そして最後の願いは・・・

・決してお腹をすかせて泣かせるようなことはしないで欲しい


その人はその昔、幾度となく空腹の為涙を流したそうだ。
それは戦争の時代だったのかもしれない。
はたまたそれより昔のバリを開拓している時だったのかもしれない。

現代では空腹で死ぬほど辛い思いをするなんてことは殆どないかもしれないが、昔は珍しいことではなかったのだろう。
ただ、自分の娘の前世の人がそんな辛い思いをしてきたなんて・・・

無邪気に笑う娘の顔を見ながら、
少し目頭が熱くなってしまった。


もう大丈夫。
決してそんな思いはさせないから。

私は料理があまり得意ではないのだけれど、
おいしい、おいしい、とたらふく食べてもらう為にも
料理上手なお母さんにならなきゃな。




赤ちゃんの儀式 ~3 Bulanan~

2017年 09月29日 15:00 (金)


※旅行記の途中ですが、ここで一旦先日あった3 Bulananについて書いていきたいと思います。(先日と言ってももう3週間程前になりますが・・・
このタイミングで書かないと、儀式の話を書くのがいつになるか分からないので・・・



***************



この日は待ちに待った次女の3 Bulanan(ティガブラナン:3ヶ月の儀式)。
もう本当にこの日が早く来てほしくてしょうがなかった。
というのも、この3 Bulananが終わるまでは自宅にほぼ軟禁状態だったため・・・

バリヒンドゥーでは、この3 Bulananを迎える日までは赤ちゃんは人間ではなく神側に近い存在とされていて、魂が非常に不安定な状態だと言われている。
なので、不用意に外出して道中にNgaben(火葬式)などがあったらどうするんだ!!
というのが一般的なバリ人の発想で、多くのバリ人は赤ちゃんを連れての外出を控える。
(まぁ、まだ小さいからというのもありますが。)


というわけで、この3 Bulananが終わればそういった心配事が一つ減ることにもなるので、親としては嬉しい。


こういった儀式がある時はバリの人たちはこの上ない一致団結力を発揮するので、ずんずんと準備が進められていって迎えた当日。
色とりどりのお供えものが次々と運び込まれる。
長女の時はシガラジャの田舎で儀式を行ったのだが、今回はデンパサールの自宅で行う為、ティルタ(聖水)はシガラジャから親戚に運んできて貰う。

P1020110_1[1]


で、儀式の準備をする過程で今回気付いたこと。
シガラジャとデンパサールでは儀式の内容が結構違う、ということ。

シガラジャでは、この3 Bulananはプダンダ(最高僧)さんに執り行ってもらい、お供えも豪華、でこの次にひかえる1 Oton(サトゥオトン:6ヶ月の儀式=バリヒンドゥーの誕生日)は控えめで、3 Oton(3回目の誕生日)を盛大に迎えるのが一般的。
一方デンパサールでは、この3 Bulananはマンクー(一般僧)さんでもOKで、1 Otonが豪勢となる。

シガラジャの3 Bulanan=デンパサールの1 Oton
と言った感じ。
同じバリヒンドゥーでも、地域によって儀式の内容が変わってきたりするのはよくあること。
今回はデンパサールで行うものの、儀式の内容はシガラジャ式でお願いしておりプダンダさんにとり行って貰うことに。


そして、今回の儀式を待ちに待っていたもう一つの理由は・・・


儀式でグンデルの演奏をしてもらえることになったため~


バリ人的にはどうってことない普通の事なんだけど、我が家は今まで家族の儀式でグンデルの演奏をしてもらったりしたことがなかった。
が、今回の儀式の前にラディタ先生から、「グンデル演奏しようか?」と声がかかり、もうこれ以上嬉しいことはない!
ってことで、お願いすることに。
当日はラディタ先生と、いつも一緒にグンデルを弾いてくれるKさん、そして現在スカワティでダラン(影絵人形師)の修行中のK.Kさん(既にスカワティのお寺でダランとしてデビュー済み!←これは本当に凄いことです)の豪華メンバー。

プダンダさんが到着して、お祈りが始まると共に鳴り響くグンデルの音。

自分のグンデルが儀式の演奏に使用されるのは初めてのことで、感激もひとしお。
儀式の際にグンデルの演奏があるということはこんなにも良いものなのか、と改めて実感。

P1020109_1[1]
Kさん、顔出しOKだったでしょうか!?いい笑顔だったものでつい



儀式は進み、プダンダさんからお呼びがかかる。

まず、赤ちゃんは母親から引き離され、代わりにパパイヤを抱っこする。
パパイヤには手足に見立てて棒が刺さっており、それぞれに清められた赤ちゃん用の装飾品がかけてある。

↓こんなの
P_20170929_133857_1.jpg

これは3 Bulananが終わってから1ヶ月程赤ちゃんが身に着けるもの。
(魂が不安定な状態から開放された赤ちゃんを守るもの、だと勝手に解釈している。)



それからパパイヤを抱っこしたままお祈りをし、お供え物の周りをぐるぐる回ったりする。

P1020209.jpg

その後赤ちゃんは沐浴され、パパイヤと引き換えに母親のところへ戻る。

それからはよくある儀式と同様、頭に色々巻かれ、ナターブ(ドゥパの煙を浴びる)したり、ティルタ(聖水)をあびたりして儀式は終了。

P1020258.jpg


ちなみに、シガラジャで行った長女の時は、

FB_IMG_1496840061480_1[1]
↑Turung tanahといって、地面に足をつけたり、鶏(あひる)に頭を突かれたり、

FB_IMG_1496840055849_1[1]
↑プダンダさんに髪の毛を切られたり。


今回はこれらがなかったので、地に足をつけるのは次回1 Otonまでお預け。
儀式の内容は意味不明なことが多いけど、これでひとまず安心。
無事に何事もなく儀式が終わって本当によかった~。



***************


日本でも報道されている為、多くの方がご存知かと思いますが、
現在バリ島最高峰のアグン山がいつ噴火してもおかしくない状態で、多くの周辺住民が避難生活を余儀なくされている状況が続いています。
アグン山から60km以上離れた我が家でも、いつ大地震が起きても直ぐに逃げ出せるように、貴重品と数日分の赤ちゃん用品を一まとめにしておいています。
自然災害に対して私達人間が出来る事は、備えと祈りだけ。
被害が最小限となりますよう、祈る日々です。



バリ島との出会い ~序章~

2017年 07月23日 11:36 (日)


※しばらく家にこもりきりの生活になりガムラン関係の出来事もないので、ちょっと私とバリとの出会いなんかについてダラダラ書いていきます。



***************



私がバリ島に初めて来たのは、9年位前。
なんてことはない、3泊4日のよくあるパッケージツアー。

その時季節は冬で、雪国生まれのくせに寒いのが大嫌いな私は日本の冬の寒さに辟易していて、どこか暖かいところへ行きたくてしょうがなかった。
仕事にも疲れていて、職場の同僚と「どこか暖かいところへ行きたいね~。」何て話していた。
この時話していた同僚は、旅行と言えばハワイやグアムといった南国リゾートに限る!といった子で、一方私はパックパックでアジアの国をあてもなく放浪、といった旅行スタイルだった。

そんな二人に丁度良かったのが、「バリ島」。

と言っても、その時私はバリ島がどこにあるのかも知らなかったし、バリ島がインドネシアという国だということも知らなかった。
何となくアジアのリゾートというイメージしか持ってなく、何となく癒されるっていうイメージだった。

仕事が忙しく、出発の日までバリ島のことを調べる時間もなく、行きの飛行機の中でガイドブックを読む。
バリってインドネシアなのか!とか、通貨はルピアというのか、などなど。


空港に降り立った瞬間にむわっとした空気に包まれ、
あぁ南国アジアだとわくわく
(友人は「なにここ?怖い・・・」とおびえていたが・・・)

一気にバリの空気が気に入った。


DSC00003.jpg
(写真は当時のものです。)


私達がまず泊まったのはクタのビーチ前のホテル。
特に海系ではない私達はたまに近場を散歩する程度で、ほとんどホテルでのんびり過ごしていた。
(友人は、「怖くて外を歩けない」という理由だったが・・・)

私は外国に行ったらまず現地の言葉で挨拶を出来るようにするのが常だったので、ガイドブックにのっているインドネシア語会話をブツブツ唱えて、ホテルのスタッフに話しかけるを繰り返していた。

それに飽きると、外に出るのを嫌がる友人を無理やり連れ出してあてもなくその辺をふらふら。
最終的にジンバランのシーフードレストランにたどり着いた。

ビーチにパラソルを立てて、その下でシーフードを食べるスタイル。
今考えればそうとうぼったくりな値段のお店だったが、まぁその当時は特に何も気にならなかった。
エキゾチックで綺麗なお姉さんが海老の素揚げを運んできて、こんなもんかなー、何て思って食べていたら、お姉さんの額の米粒が目に入った。

お祈りの際にもらうビジョー(聖水に浸した米)ってやつですね。

今でなら直ぐに分かるが、当時は本当にバリのことをまったく知らなくて友人と二人、

「どうしよう、あの子おでこに米ついてる・・・気付いてないのかな・・・?」
「教えてあげたほうがいい?」

なんてひそひそ。

勇気をもって「お米ついてますよ。」と話しかけると、彼女は微笑んで「プレイ」と一言。
その「プレイ」をPrayではなくPlayと勘違いした私達は、

「えぇっ!!遊びなの!?どういうこと!?罰ゲーム的な??」
なんて驚いてしまうほど、当時はおバカでバリのことを何にも知らなかった。

おでこに米粒をつけるというバリ人的遊び感覚に驚きつつ(違う)、次の日はウブドのホテルへ移動。

道中は日本語ペラペラのH○Sの女性ガイドさんに、ガイドブックで仕入れたヒンドゥー教の宗教観について質問攻め。


で、ウブドに着いたら驚いた。
明らかに空気が変わった。
むせ返るほどの緑、目に眩しい原色の花々。

クタに滞在していた時は、なんか私が想像していたバリと違うなぁ~、
なんて思っていたんだけど、ウブドは正に私が考えていた南国バリそのものだった。

怖がりの友人も、ベッドにちりばめられたウェルカムフラワーにテンション↑↑
この時バリに来た目的は揉まれまくりの癒しの旅だったので、早速スパで揉まれまくる。



テガラランのライステラスで癒され、ホテルのオプションでチャナン(お供えもの)作りを体験し、夜はウブド王宮でバリダンス鑑賞。
もう、これぞバリ!!
って感じだった。


DSC00057.jpg

DSC00078.jpg


で、最終日。
またもや嫌がる友人を無理やり連れ出し、クバヤ(伝統衣装)を借りて、どうしても気になっていたバリヒンドゥー総本山のブサキ寺院へ。

この日は、ドライバーさん曰く満月。
小雨は降っていたものの、多くのバリ人が参拝しており私達もバリの作法に則って境内でお祈り。
(この時にようやくおでこの米の正体が分かった。)

DSC00098.jpg



雨の中、一心に祈るバリの人々。
人の祈る姿はこんなにも美しいのかと驚いた。

観光客であっても正装をしてヒンドゥー教に敬意を払えば
一緒にお祈りをさせてもらえる。
隣のドライバーさんの見よう見真似で、花を掲げる。


なんだか凄く心が洗われた気分だった。
今まで味わったことのない不思議な感覚。

これが日常茶飯事なバリ人って一体何なんだ!?
不思議な法則によって営まれているバリヒンドゥーって一体!?
そもそもこの島の不思議なパワーは一体どこから??

と、懐の深すぎるバリ島に一気に興味が湧いた。


この3泊4日のパック旅行で私の心にバリが完全に住み着いてしまった。



その2ヵ月後、どうしてもバリのことをもっと知りたくなった私は、バックパックをひとつかついで、一人でバリ島に降り立っていた。



~つづく~




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