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3 Bulananこぼれ話

2017年 10月11日 13:34 (水)


3 Bulananの前日、準備の為に親戚が集まっていた時のお話。


会場の準備も終わり、後は当日の朝にバンタン(お供え物)を運ぶのみとなってみんなでまったりしていると、おば様方が「あーでもない、こーでもない」と何やらワイワイしていた。
何かと思って聞いてみると、儀式当日の赤ちゃんに着せるクバヤの色の話らしい。

私はまぁ、無難に白でいいんじゃないかなー、何て思って準備していたのだが、赤ちゃん本人の意向を必ず聞かなければならないのだという。

赤ちゃんの意向=赤ちゃんに生まれ変わったご先祖さまの意向

なわけで・・・
つまりはあれである。
バリアン(呪術師)のところへ行ってということ。

以前も書いたが、バリでは輪廻転生が100%信じられており、
赤ちゃんが生まれたら必ずバリアンのところへ行って誰の生まれ変わりなのかを確認することになっている。

以前のお話↓
「輪廻転生」


で、この確認なのだが、どうやら1ヶ月の儀式と3ヶ月の儀式の間に行かなければならないらしく、この確認の時に3 Bulananの時の本人の希望も確認するのだとか。
(クバヤは何色だとか、バビグリンの有無とか、その他の希望いろいろ・・・)


で、なぜ次女のバリアン確認を直前まで行っていなかったというと・・・


ただ単に忘れていただけー


いや、私は覚えていたよ?
何度も夫に「いつ聞きに行くの?」って聞いてたよ?
で、「いつだろうね~」って、人事のように流されてたよ・・・
で、直前になってこの慌てよう。

まぁ、それはいい。
だったら今すぐ聞きに行ったら?って思ったのだけど、この日はバリの暦でPasahという日で、まぁ日本でいうところの仏滅のような日だったので、バリヒンドゥーに関することは一切禁止。
もちろんバリアンのところへお伺いにいくのも禁止。

なわけで、仕方なく当日の朝に親戚のおばさんがバリアンのところへ行ってくれることに。


以下はおばさんから聞いた話。


バリアンに生まれ変わりを確認する時は、基本的には名前と生年月日を伝えるのみ。
おばさんがそれを伝えると、

「タンカスの子か・・・」
と一言。

タンカスとは、夫の家寺のクルンクンにあるタンカス・コリ・アグンのこと。
私なんかはこういった力を発揮されると未だにちょっとぞくっとしてしまうのだが、バリ人にしてみれば、「バリアンさんは何で分かるんだろうねー?凄いねぇ」ってごくごく普通の感覚。

その後バリアンは生まれ変わった人の特徴(ここにほくろがある、とか背が高いとか低いとか)を伝え、「あぁ、○○おじいちゃん!」とか「○○おじさんだ!」とかになるらしいのだが、次女の生まれ変わりは○○おじいちゃんといったようなレベルではなく古い方らしい。

その人は男性。
素直な人で、つつましい暮らしを送っていたそうだ。

3 Bulananの希望を聞くと、なーんでもいいと。
クバヤの色もバンタンの豪華さも、儀式の場所だってシガラジャでもデンパサールでもどこでもいいと。

その人の希望は、こういったもの。

・自分はタンカスの人間。シガラジャのムラジャン(小さい家寺)に報告に行く前に、クルンクンのプラ・カウィタン(先祖の家寺)に報告に行って欲しい。


通常我が家では、子供が生まれるとシガラジャにある家寺に報告に行くのだが、

こちら↓
FB_IMG_1507695413197[1]

ではなく、クルンクンの

こちら↓
FB_IMG_1507695394728[1]

へまず行って欲しいと。


もう一つは、

・名前に「タンカス」を入れて欲しい。

とのこと。
この時点で既に出生届を出してしまっていたので、事実上名前を変更するには裁判所へ行く必要があるので、お寺への報告時にタンカスを入れた名前での報告とすることに。

ちなみに、次女の名前は・・・

Ni Kadek ○○(日本の名前)Arya Savitri

なのだが、AryaとSavitriの間にTangkasを入れることになった。
な、ながい・・・


そして最後の願いは・・・

・決してお腹をすかせて泣かせるようなことはしないで欲しい


その人はその昔、幾度となく空腹の為涙を流したそうだ。
それは戦争の時代だったのかもしれない。
はたまたそれより昔のバリを開拓している時だったのかもしれない。

現代では空腹で死ぬほど辛い思いをするなんてことは殆どないかもしれないが、昔は珍しいことではなかったのだろう。
ただ、自分の娘の前世の人がそんな辛い思いをしてきたなんて・・・

無邪気に笑う娘の顔を見ながら、
少し目頭が熱くなってしまった。


もう大丈夫。
決してそんな思いはさせないから。

私は料理があまり得意ではないのだけれど、
おいしい、おいしい、とたらふく食べてもらう為にも
料理上手なお母さんにならなきゃな。




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赤ちゃんの儀式 ~3 Bulanan~

2017年 09月29日 15:00 (金)


※旅行記の途中ですが、ここで一旦先日あった3 Bulananについて書いていきたいと思います。(先日と言ってももう3週間程前になりますが・・・
このタイミングで書かないと、儀式の話を書くのがいつになるか分からないので・・・



***************



この日は待ちに待った次女の3 Bulanan(ティガブラナン:3ヶ月の儀式)。
もう本当にこの日が早く来てほしくてしょうがなかった。
というのも、この3 Bulananが終わるまでは自宅にほぼ軟禁状態だったため・・・

バリヒンドゥーでは、この3 Bulananを迎える日までは赤ちゃんは人間ではなく神側に近い存在とされていて、魂が非常に不安定な状態だと言われている。
なので、不用意に外出して道中にNgaben(火葬式)などがあったらどうするんだ!!
というのが一般的なバリ人の発想で、多くのバリ人は赤ちゃんを連れての外出を控える。
(まぁ、まだ小さいからというのもありますが。)


というわけで、この3 Bulananが終わればそういった心配事が一つ減ることにもなるので、親としては嬉しい。


こういった儀式がある時はバリの人たちはこの上ない一致団結力を発揮するので、ずんずんと準備が進められていって迎えた当日。
色とりどりのお供えものが次々と運び込まれる。
長女の時はシガラジャの田舎で儀式を行ったのだが、今回はデンパサールの自宅で行う為、ティルタ(聖水)はシガラジャから親戚に運んできて貰う。

P1020110_1[1]


で、儀式の準備をする過程で今回気付いたこと。
シガラジャとデンパサールでは儀式の内容が結構違う、ということ。

シガラジャでは、この3 Bulananはプダンダ(最高僧)さんに執り行ってもらい、お供えも豪華、でこの次にひかえる1 Oton(サトゥオトン:6ヶ月の儀式=バリヒンドゥーの誕生日)は控えめで、3 Oton(3回目の誕生日)を盛大に迎えるのが一般的。
一方デンパサールでは、この3 Bulananはマンクー(一般僧)さんでもOKで、1 Otonが豪勢となる。

シガラジャの3 Bulanan=デンパサールの1 Oton
と言った感じ。
同じバリヒンドゥーでも、地域によって儀式の内容が変わってきたりするのはよくあること。
今回はデンパサールで行うものの、儀式の内容はシガラジャ式でお願いしておりプダンダさんにとり行って貰うことに。


そして、今回の儀式を待ちに待っていたもう一つの理由は・・・


儀式でグンデルの演奏をしてもらえることになったため~


バリ人的にはどうってことない普通の事なんだけど、我が家は今まで家族の儀式でグンデルの演奏をしてもらったりしたことがなかった。
が、今回の儀式の前にラディタ先生から、「グンデル演奏しようか?」と声がかかり、もうこれ以上嬉しいことはない!
ってことで、お願いすることに。
当日はラディタ先生と、いつも一緒にグンデルを弾いてくれるKさん、そして現在スカワティでダラン(影絵人形師)の修行中のK.Kさん(既にスカワティのお寺でダランとしてデビュー済み!←これは本当に凄いことです)の豪華メンバー。

プダンダさんが到着して、お祈りが始まると共に鳴り響くグンデルの音。

自分のグンデルが儀式の演奏に使用されるのは初めてのことで、感激もひとしお。
儀式の際にグンデルの演奏があるということはこんなにも良いものなのか、と改めて実感。

P1020109_1[1]
Kさん、顔出しOKだったでしょうか!?いい笑顔だったものでつい



儀式は進み、プダンダさんからお呼びがかかる。

まず、赤ちゃんは母親から引き離され、代わりにパパイヤを抱っこする。
パパイヤには手足に見立てて棒が刺さっており、それぞれに清められた赤ちゃん用の装飾品がかけてある。

↓こんなの
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これは3 Bulananが終わってから1ヶ月程赤ちゃんが身に着けるもの。
(魂が不安定な状態から開放された赤ちゃんを守るもの、だと勝手に解釈している。)



それからパパイヤを抱っこしたままお祈りをし、お供え物の周りをぐるぐる回ったりする。

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その後赤ちゃんは沐浴され、パパイヤと引き換えに母親のところへ戻る。

それからはよくある儀式と同様、頭に色々巻かれ、ナターブ(ドゥパの煙を浴びる)したり、ティルタ(聖水)をあびたりして儀式は終了。

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ちなみに、シガラジャで行った長女の時は、

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↑Turung tanahといって、地面に足をつけたり、鶏(あひる)に頭を突かれたり、

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↑プダンダさんに髪の毛を切られたり。


今回はこれらがなかったので、地に足をつけるのは次回1 Otonまでお預け。
儀式の内容は意味不明なことが多いけど、これでひとまず安心。
無事に何事もなく儀式が終わって本当によかった~。



***************


日本でも報道されている為、多くの方がご存知かと思いますが、
現在バリ島最高峰のアグン山がいつ噴火してもおかしくない状態で、多くの周辺住民が避難生活を余儀なくされている状況が続いています。
アグン山から60km以上離れた我が家でも、いつ大地震が起きても直ぐに逃げ出せるように、貴重品と数日分の赤ちゃん用品を一まとめにしておいています。
自然災害に対して私達人間が出来る事は、備えと祈りだけ。
被害が最小限となりますよう、祈る日々です。



バリ島との出会い ~序章~

2017年 07月23日 11:36 (日)


※しばらく家にこもりきりの生活になりガムラン関係の出来事もないので、ちょっと私とバリとの出会いなんかについてダラダラ書いていきます。



***************



私がバリ島に初めて来たのは、9年位前。
なんてことはない、3泊4日のよくあるパッケージツアー。

その時季節は冬で、雪国生まれのくせに寒いのが大嫌いな私は日本の冬の寒さに辟易していて、どこか暖かいところへ行きたくてしょうがなかった。
仕事にも疲れていて、職場の同僚と「どこか暖かいところへ行きたいね~。」何て話していた。
この時話していた同僚は、旅行と言えばハワイやグアムといった南国リゾートに限る!といった子で、一方私はパックパックでアジアの国をあてもなく放浪、といった旅行スタイルだった。

そんな二人に丁度良かったのが、「バリ島」。

と言っても、その時私はバリ島がどこにあるのかも知らなかったし、バリ島がインドネシアという国だということも知らなかった。
何となくアジアのリゾートというイメージしか持ってなく、何となく癒されるっていうイメージだった。

仕事が忙しく、出発の日までバリ島のことを調べる時間もなく、行きの飛行機の中でガイドブックを読む。
バリってインドネシアなのか!とか、通貨はルピアというのか、などなど。


空港に降り立った瞬間にむわっとした空気に包まれ、
あぁ南国アジアだとわくわく
(友人は「なにここ?怖い・・・」とおびえていたが・・・)

一気にバリの空気が気に入った。


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(写真は当時のものです。)


私達がまず泊まったのはクタのビーチ前のホテル。
特に海系ではない私達はたまに近場を散歩する程度で、ほとんどホテルでのんびり過ごしていた。
(友人は、「怖くて外を歩けない」という理由だったが・・・)

私は外国に行ったらまず現地の言葉で挨拶を出来るようにするのが常だったので、ガイドブックにのっているインドネシア語会話をブツブツ唱えて、ホテルのスタッフに話しかけるを繰り返していた。

それに飽きると、外に出るのを嫌がる友人を無理やり連れ出してあてもなくその辺をふらふら。
最終的にジンバランのシーフードレストランにたどり着いた。

ビーチにパラソルを立てて、その下でシーフードを食べるスタイル。
今考えればそうとうぼったくりな値段のお店だったが、まぁその当時は特に何も気にならなかった。
エキゾチックで綺麗なお姉さんが海老の素揚げを運んできて、こんなもんかなー、何て思って食べていたら、お姉さんの額の米粒が目に入った。

お祈りの際にもらうビジョー(聖水に浸した米)ってやつですね。

今でなら直ぐに分かるが、当時は本当にバリのことをまったく知らなくて友人と二人、

「どうしよう、あの子おでこに米ついてる・・・気付いてないのかな・・・?」
「教えてあげたほうがいい?」

なんてひそひそ。

勇気をもって「お米ついてますよ。」と話しかけると、彼女は微笑んで「プレイ」と一言。
その「プレイ」をPrayではなくPlayと勘違いした私達は、

「えぇっ!!遊びなの!?どういうこと!?罰ゲーム的な??」
なんて驚いてしまうほど、当時はおバカでバリのことを何にも知らなかった。

おでこに米粒をつけるというバリ人的遊び感覚に驚きつつ(違う)、次の日はウブドのホテルへ移動。

道中は日本語ペラペラのH○Sの女性ガイドさんに、ガイドブックで仕入れたヒンドゥー教の宗教観について質問攻め。


で、ウブドに着いたら驚いた。
明らかに空気が変わった。
むせ返るほどの緑、目に眩しい原色の花々。

クタに滞在していた時は、なんか私が想像していたバリと違うなぁ~、
なんて思っていたんだけど、ウブドは正に私が考えていた南国バリそのものだった。

怖がりの友人も、ベッドにちりばめられたウェルカムフラワーにテンション↑↑
この時バリに来た目的は揉まれまくりの癒しの旅だったので、早速スパで揉まれまくる。



テガラランのライステラスで癒され、ホテルのオプションでチャナン(お供えもの)作りを体験し、夜はウブド王宮でバリダンス鑑賞。
もう、これぞバリ!!
って感じだった。


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で、最終日。
またもや嫌がる友人を無理やり連れ出し、クバヤ(伝統衣装)を借りて、どうしても気になっていたバリヒンドゥー総本山のブサキ寺院へ。

この日は、ドライバーさん曰く満月。
小雨は降っていたものの、多くのバリ人が参拝しており私達もバリの作法に則って境内でお祈り。
(この時にようやくおでこの米の正体が分かった。)

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雨の中、一心に祈るバリの人々。
人の祈る姿はこんなにも美しいのかと驚いた。

観光客であっても正装をしてヒンドゥー教に敬意を払えば
一緒にお祈りをさせてもらえる。
隣のドライバーさんの見よう見真似で、花を掲げる。


なんだか凄く心が洗われた気分だった。
今まで味わったことのない不思議な感覚。

これが日常茶飯事なバリ人って一体何なんだ!?
不思議な法則によって営まれているバリヒンドゥーって一体!?
そもそもこの島の不思議なパワーは一体どこから??

と、懐の深すぎるバリ島に一気に興味が湧いた。


この3泊4日のパック旅行で私の心にバリが完全に住み着いてしまった。



その2ヵ月後、どうしてもバリのことをもっと知りたくなった私は、バックパックをひとつかついで、一人でバリ島に降り立っていた。



~つづく~




赤ちゃんの儀式 ~1Bulan 7hari~

2017年 07月12日 11:00 (水)



つい先日あった生後42日目の儀式。

1 Bulan(サトゥブラン)=1ヶ月(バリの暦のため35日)
7 Hari(トジュハリ)=7日

という訳で42日目。
実はこの儀式の意味するところはいまだに分かっていない
(夫に聞いても、「聞かないでくれ」と言われ、誰に聞いても「そういうもんだ」と言われ)


日数的なことを考えると、1ヶ月ちょっとを元気に過ごせれば、まぁまずは第1段階はOKということかな。
(恐らく医療の整っていなかった昔は、42日を迎える前に亡くなってしまう子も現在よりは多くいただろうから。)

後は、1ヶ月ちょっともすれば母親の産褥期も終わり、一緒に儀式に参加できるというのもあるかも。
(出血している人は儀式に参加できないので。)


長女の時はこの儀式は簡素な感じで過ぎていった記憶があるんだけど、今回はマンクーさん(お坊さん)にお願いしてしっかりした儀式に。


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しっかりした儀式といっても、1Bulan 7hariはそんなに大きい儀式ではないので、
この日の参加者は私達夫婦と義両親とバンタン(お供えもの)の手配をしてくれた親戚のおばさんの5名。

と、夫曰くあちらからは・・・

夫のおばあちゃん(故)
見知らぬご老人1(故)←恐らくご先祖さまのどなたか
見知らぬご老人2(故)←恐らくご先祖さまのどなたか

の3名様。

夫のおばあちゃん(義父のお母さん)、確か長女の儀式の時にもきてくれていたな。
いつも見守ってくれている。
嬉しい。 



儀式では赤ちゃんと共に母親も清めてもらい、産後不浄の存在となっていたものが解除される。
という訳で、この日を境に台所で火を使ってもOK。


あー、ようやくかー。

※電気でお湯を沸かす器具のない我が家は、夫が不在時にはコーヒーもお茶も飲めなかったので・・・
というか、母乳が足りていなくてもミルクを作るお湯も沸かせなかったので、おっぱいあげるのも必死


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こんな感じで頭に何か乗せられてます。可愛い。

米と聖水でびしょびしょになったけど、久しぶりの儀式で気分はすっきり


まぁ、3ヶ月目の儀式が終わるまでは極力外出も控えなければならないので、この軟禁生活はまだしばらく続くんだけど・・・
(7月15日に観たい公演があったんだけどなー


さて、久しぶりに一人でコーヒー飲も。
(カフェインレスね。)



*************


最近のちょっとした発見。

『赤ちゃんの寝かしつけにケチャダンスの音楽が効果あり!』

ベースとなっている低音の声と、チャチャチャという一定のリズムがいいみたい。
ケチャを聞きながらぐっすり。
ちなみに、途中でバロンダンスに変えたら怒られた(笑)

といってもこれは夫の発見なんだけど。
(私は定番?の日本の歌をかけてます。赤ちゃん泣き止む系の「カフカの歌」とか「ムーニーちゃん」とか。
本気で歌わなきゃなので。)

みなさんも機会があればお試しを~。
(って、そんな人はいないか。)




バリ島あれこれ ~産後の食事編~

2017年 06月29日 11:54 (木)


バリ島(とういか、インドネシア全体)はただ今大型連休中。
レバランというイスラム教の断食明けのお祭りの真っ最中で、
多くの人がこの時期長期休暇となる。
ヒンドゥー教の多いバリ島であっても例にもれず、
夫の職場では土日も含めて10日間のお休みとなる。
この間、イスラム教の人々はプラン・カンプン(Pulang kampung)といって
田舎に帰って家族と過ごすのが通常。
色々な島から出稼ぎに来ている人が多いバリ島では
この時期多くのワルン(ローカル食堂)がお休みとなる。

ということで、結構ご飯を探すのが大変。
(観光地は通常営業が多いです。)
バリ人が経営しているワルンか、自炊ということになる。

ただ、産後の女性は料理が作れない。
というか、台所に入ることを禁止されている。
というのも、台所には火の神様ブラフマ神がおり
産後の女性は不浄の存在とされ立ち入り禁止になる。

これは前に記した1Bulan 7hari(サトゥブラン・トジュハリ)の儀式まで続く。

といっても、全く台所に入れないのは核家族の我が家にとっては
かなり大変なことで、ご飯は買ってくるとしても、
食後の皿は洗えない、というか食器を取りに行くことも出来ない・・・
となるので、我が家ではちょっと規律を緩めて(いいのか?)、
この期間は火を使わないというところで落としどころをつけている。

で、毎日のご飯はどうしているかというと、

近所に住む義母さんが毎日3食分届けてくれるんです~

いやー、ありがたい。
というか、産前からこれが楽しみだったの!!

というのも、夫のお母さんは料理が凄く上手で、東ジャワ島出身の
お義母さんは基本料理は甘辛な味付け。
辛いのが苦手な私は毎日激辛バリ料理が続くとちょっと厳しく、
この甘辛のジャワ料理が丁度いい辛さ。
(というか、辛さ控えめで作ってもらっている。)

毎日、お義母さんのところに住み込みでいるお手伝いさんが
朝とお昼にご飯を届けてくれる。
上の子の時は、これを3ヶ月お願いしていた。
今回はまぁ、育児も2回目ということで取りあえず1Bulan 7hariの儀式までの予定。

ご飯はこんな感じ。

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野菜盛りだくさんで栄養満点!!
本当にありがたいわ~(私が日本人ということもあり、時々チキンカツや照り焼きなんかも作ってくれる!)


ちなみに、この台所に入ってはいけないという縛り、
夫はバリ島全土の習慣だというが、どうもかなり地域性がある様子。
サヌールに嫁いだ知り合いのバリ嫁さんに聞いてみたら、そんなの
初めて聞いたとのこと。
なので、この習慣がデンパサールのものなのか、それとも夫の田舎の
シガラジャのものなのかは不明。

代わりにサヌールでは、夕方6時~7時の間(いわゆるお化けが出るという時間帯)
は、赤ちゃんを必ず抱っこしていなければならないらしいが、我が家はこの習慣はなし。
同じバリ島、ヒンドゥー教とはいえ地域性が大きい。


という訳で、産後は最小限の家事のみで、のんびり赤ん坊のお世話をしています~。
バリ島には里帰り出産の概念がないので、核家族の場合、最悪床上げ前であっても
バリバリ家事をこなさなければならないこともあり、この習慣にはもの凄く助けられている。

あとは、1Bulan 7hari(サトゥブラン・トジュハリ)の儀式までは極力外出を
ひかえる必要があるんだけど、まぁこれは日本でだって同じことよね。
1Bulan=バリ式の1ヶ月だから35日+7日の42日だからちょっと長めだけど。
この間はおとなしく家でのんびりしときます。


***************


時折、赤ん坊がよく寝ている日なんかはグンデルを練習したりしているんだけど、
つい先日久しぶりにスカワティの曲を弾いてみるか、と思ったのはいいが・・・

あれ・・・?
この曲の出だし何だっけ??

っていうのが多く、サルゴ先生に習ったスカワティの曲をほとんど忘れていた・・・
というのも、スカワティでの練習を休みに入ってからスカワティの曲は殆ど弾いておらず、妊娠中は胎教によいかとゆったりとしたカユマスの曲ばかり弾いていた。
なので久しぶりに弾こうとしても出だしから分からない曲や、途中のつなぎ目を
忘れてしまっている曲がほとんど。
唯一何とか弾けたのが、RebongとOmbak-ombak。
(といってもOmbak-ombakはスカワティの曲ではないが)

これはまずい・・・

この状態でスカワティに行こうものなら、サルゴ先生の逆鱗に触れること間違いなし。
撮りためたビデオを見て、少しずつ思い出していかなければ。